スギ花粉。山に来てわかったこと。

スギ花粉の飛散量は、年々増加している。その原因は「戦後に植林されたスギが成長しているため」と言うことが一般に言われている。Yahoo天気にもそう書いてあった。
しかし、僕は、山に来て実体験によりわかったことがある。
それは、戦後に植えられた木が成長して・・・と言うことは、ほとんどありえないと言うことだ。

山の現状、スギの現実を、何も知らない人たちが、勝手な想像を元に言っているたわごとであると僕は思っている。戦後に植林されたのであれば、すでに樹齢70年を超えている。その後も植林が続いたと考えても、樹齢50年以上だ。
そんな老木が、大量にあり、大量の花粉を飛散しているようには思えない。
もちろん、僕自身は、今、自分がいる山と、山探しの時に巡った山と聞いた話しか知らないのも事実だから、日本全体のことは言えない。しかし、戦後に植林された、その時の木は、大切に育てられ、ほとんどの木はすでに出荷されているのではないだろうか?

スギの伐採適齢期間は、樹齢30年程度。ちょうど高度経済成長真っ只中。木材よりも鉄骨やコンクリートが増えていたとは言え、まだまだ輸入木材が少なかった時代、国産のスギはある程度使われてきたのではないかと思う。もちろん、戦後30年経っても「戦後」には変わりないが、もっとも、危惧すべき事態になったのはこの後ではないかと思う。

過去のことは、憶測でしかないが、今、現状を見ると、スギ林やヒノキ林は、人の手が入らず荒れ放題になっている。確かに、樹齢は30年、40年になる木が多いが、ほとんどは、除伐・間伐をされずに、ぎゅうぎゅう詰めのまま、ヒョロヒョロと細く上に伸びている。こうした環境で育っている木々は、自分の生命が長くないことを察し、花粉を多く飛散して子孫を後世に残そうとすると言うことを聞いた。

そう、花粉を大量に飛散しているのは、すでに老木となっている戦後に植林された大量の木々ではなく、その後に植林されたり、自生した、なんの手入れもされずに放置された木々たちによるものなのだ。これは、人間を含む自然界の営みと同様、死の危険があれば子供をたくさん産み、死の危険が少なければ少なく産むと言う法則に合致しているのだ。

子供の死亡率が高いアフリカなどでは出生率も高く、子供の死亡率が低い先進諸国では出生率は低い。そのほかの生き物も同じ、子供のうちに食べられてしまう数が多いものたちは、卵を大量に産み、その確率が低い哺乳類などは、産む子供の数は少ないものだ。

今、日本の山は、スギは、ヒノキは、危機に瀕していると言うことなのだ。

ぎゅうぎゅう詰めのまま放置され、息も絶え絶えになっているスギやヒノキの悲痛な叫びが花粉となって、日本中に舞っているのである。

木を切ることは森林破壊などと勘違いしている連中が大勢いる。割り箸を使わないで、プラスチックでできた中国製の箸を使う。火災が起きるからと木造ではなく鉄骨やコンクリートで建物を作る。木の暖かさや安らぎを知っているから、鉄の扉やプラスチックに木目のシールを貼ったりしている。これでは、森林は守られない。

せっかく木材を使う機会があっても、国産材ではなく輸入材に傾いてしまう。そのため、国産の木材価格は下落し、林業はまともに経営できない状況になっている。助成金を使って間伐を行っても、その間伐材でさえ行き場がない。

そんな状況を、知らぬ存ぜぬと放置しておきながら、スギ花粉によって苦しんでいるために、「スギ・ヒノキは敵」のように思っている。スギ・ヒノキが日本からなくなってほしいと願いながらも、それを伐採する機会を与えようとしていないのだ。

日本の抱える、僕が思うに「最大の損失」である花粉症を徹底壊滅させるためには、日本中の人々はもちろん、世界にも、ニッポンのスギ・ヒノキを出荷する必要があるのである。間伐材でもいいから、もっと木を使う生活をすれば、日本は変わる。

森林破壊ではなく、木を育てるために、木を切るのだ。

間伐し、木と木の間を開けてあげれば、木々は安心して成長することができ、花粉の飛散量は減っていく。山にスギやヒノキがあっても、花粉は少なくなるのである。さらに、人が山に入り、山の手入れをすることで、気持ちよく育つことができ、いい木ができる。それは、山が貧困地域の大量出生から、先進諸国のように少子化に変わっていくのと同じことが起きてくる。知らない人からすれば不思議なことだろうが、

木の本数は増えても、花粉の量は減る。

と言う現象が起きてくるのである。決して、スギやヒノキは敵ではない。日本人が、山に対して、スギやヒノキに対して、優しさを忘れたことに原因があるのである。産んだ子供を放置し、愛情を注がないまま育ち、生きている充実感がなく、人生に希望を失ってしまっているのにも似ているのだ。もう一度、愛情を注ぎ、育て、活用してあげれば、山も、木々も復活する。
それは、川を豊かにし、そこに住む生き物を蘇らせ、その栄養分は海に注がれ、海が豊かになり、そこに魚やたくさんの生き物が集まり、それが、僕たちの食卓を賑やかにしてくれる。そうして、好循環を生み出していくことになるのである。その一歩が、木を使うことなのである。このことを、知ってほしいのである。

今のままでは、日本の春は、苦痛の季節のままであるし、今後、もっとひどくなることは明確だろう。人々は、自然を顧みることなく突き進み、そして、対策グッズや薬だけが、どんどん開発され、日本人の生産能力は落ち、得たお金は製薬会社に搾取されていくと言う現実が待っている。
地獄からは抜け出せず、抜け出すための代償によって、さらなる地獄へ突き進んでいく。本当に、残念である。わかっているのに止められないのだ。

ならば、どうすればいいのか?

僕の答えは明確である。
都市一極集中から、田舎暮らしへのシフトである。
都市では、簡単には木造は建てられないし、建てたとしても輸入材がほとんどだろう。土地が狭く、隣家と密接しているため、外壁にも木材は使えない。
そこで、やはり、田舎に行き、そこで、

木の家に住む

と言うのが、僕の答えだ。
古い古民家でもいい、木の家に住む。もう一度、自分たちが、自然の一部であることを思い出してほしい。
木の家に住み、木の良さを知る。そうすることで、必ず、プラスチックの使用頻度が減り、木の使用頻度が増えるはずなのである。
木の家を建てるのが、ベストだが、そうでなくても木に触れる生活を取り戻しさえすれば、僕は、変わっていくと信じている。
木の家には、やはり、木が似合うと思っているからだ。

そんなわけで、木をたくさん使ってあげてほしいと思うのである。

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