目の前で起こっている事こそ現実

「テレビが無い」というとこう言われる「世の中のことを知る手段は?」と。それについて、こう答えている。「本当に重要な出来事なら誰かが教えてくれるから大丈夫」と。それに加えて、今はこう思っている。「世の中のこと?それは、今、目の前に起こっていることであって、自分に影響のないことは基本的に関係がない」と。

ニュースというものがある。ほとんどが、殺人事件だとか、そんな類のことだ。それって、僕にあまり関係がない。というと「殺人が横行していて、怖い世の中になった。気をつけるために知っておく必要がある」などという人がいる。

僕も昔は、それに近いことを思っていた。大概、全国ニュースを見ていると殺人事件の多くは東京や大阪など大都市で起こっている率が高い。浜松でそんなニュースを見ていると、こう思う「東京は怖いところだ」と。では、実際、20年間住んでいて何かあったかというと、何もない。
それよりも、逆に24時間、人が多すぎて安全と思うほどである。

犯罪に巻き込まれることを恐れるのなら、最も気にするべきなのは、自分の周りの人たちだろう。まったくの他人に何かされることは、あまり多くはないものだ。

消費税が上がるとか、年号が変わるとか、少なからず自分に影響を与える出来事があるが、そうしたことは、毎日のようにニュースを見ていなくても、どこからか耳に入ってくるものであるから、わざわざ気にしている必要などはない。

新年号を、発表された日に知る必要など、どこにもないのである。もっと言えば、令和元年になっていたって知っている必要などはない。役場で書類に記載するときに、間違っていれば誰かが教えてくれるだけだ。そのときに「新年号になったことも知らないの?」と思われたところで、なんの支障もない。そんなことよりも、今日のスーパーの特売がなんであるかを知っている方が、ずっと重要である。

自分にとって何が本当に重要な情報なのか?それを知る事こそ「世の中を知る」ことへの第一歩であると僕は思う。人間が生きている期間において「知れること」などたかがしれている。完全に「知らないこと」の方が圧倒的に多いのであるから、どうでも良いことなど、知ろうとすること自体、時と記憶の無駄遣いとしか思えないのだ。

だから「知る」ことは「今、自分にとって、重要なことは何か?」ということを常に考え、その情報を知る事が、「知る」ということにおいて、最も大切な事であると、僕は言いたいのである。
ただでさえ記憶力が悪いのだから、どうでもいいことに使う記憶容量の余裕は、僕にはないのだ。えっへん。

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