スマートノート始めた

岡田斗司夫さんのスマートノートという本を読んで、やってみることにした。 

ガキの頃から、ノートの表紙に名前を書くことと、1ページ目に、やる気になって何か書くこと。この2つだけで終わっていたノートという代物。

授業でも、ノートなどを取ったことはないし、宿題もやったことはない。

これを言うと「宿題をやらなくて先生に怒られなかったの?」とよく聞かれたが、どんなに怒られようが、誰かが代わりにやるものではないので、やらない!というのを貫き通すだけ。結局、先生の方が根負けして、何も言わなくなってくる。というわけ。

ちなみに、夏休みの自由研究のように、自分がやりたいことだけはやっていた。あと、算数とか簿記とかもやってたなぁ。理科も好きだったけど、実験だけ。

社会人になってから、ノートは縁遠くなるかというと、意外と、こう見えてもノートを買っていた。

何に使うかというと、自分の考えを書いたり、夢ノートとか作って、夢を書いていたり、一応、使おうと思って・・・いつも、すぐ終わっちゃうけど。

そんなこんなで、44年間の人生を過ごしてきたが、ここに来て、またもや、ノートを書こうとしている。今度は、スマートノートという手法を使おうってわけだ。

思考整理術なので、マインドマップに似たようなところがあるので、実際には、マインドマップでもいいと思うけど、1つの手法にとらわれる必要はなく、自分なりに良さげなやり方で書いていってみることにする。

マインドマップを書こうと思った時も、結局は、アプリケーションを使ったのだ。

マインドマップは、結構イメージが出てくるが、絵を描くのがとんと苦手だし、字も綺麗じゃなくて、自分で何を書いているのかわからなくなってしまうため、結局は、楽チンなアプリケーションを使うことになってしまった。

話はそれるが、実は、昔は絵がうまかった気がする。

いや、気がするのではなく、本当に絵がうまかったのだ。

その証拠に、何を書いたのかは忘れたけど、小学生の時に、絵で金賞を受賞したことがあるのだ。

ある日、先生から「朝礼の時に表彰されるから、名前を呼ばれたら前に出てきて、校長先生の前に行って」と言われた。僕は、何の絵のことなのかは、全くわからないまま、金賞受賞という賞状を受け取った。結局、その絵とやらは、市のどっかに飾られると聞いていたが、何の絵かもわからぬまま今に至っている。

僕が、絵を描かなくなったのは、きっと、中学2年の時の事件がきっかけだったのではないかと思っている。中2の美術の時間に、絵を描いていた。その時の絵は鮮明に覚えているのだが、いくつものカクカクした柿が、時空を飛んでいる絵を描いていた。そこに美術の先生が来てこう聞いた「その絵の題名は何?」と。僕は、題名などは考えておらず、自分の中に浮かんでくるイメージをそのまま書いていただけなのだ。なので、「題名はないよ」と答えた。

僕としては、題材があって描くことも否定しないが、浮かんだイメージをそのまま描いても、それはそれでいいのではないかと思っていた。

しかし、事件は起きた。

その学期の美術の成績が、万年「3」(普通ってこと)だったのが、「2」(ダメってこと)に落とされていたのだ。あの時の美術の先生の顔は、未だに覚えている。たまに思い出して「くそったれ!」と感じることもある。

でも、きっと今の時代だったら、僕の成績は2には落ちないだろうと思う。

きっと、全員が横並びが良しとされた、あの頃の時代だったからこそ、みんなと違う発想をしていたことがマイナス評価になったのではないかと、自分を納得させている。

僕が、まともに絵を描かなくなったのは、あの事件以降のような気がしているのだ。

かといって、人生に影響があったわけではないので、別にいいんだけど。

結局、絵描きではなく、写真家になったし。

スマートノートに話を戻す。

まだ、書き始めたところなのだが、1日2ページを使うというのが、書くことがあまりないかと思ったけど、ぎっしり書いていっても、2ページが埋まってしまうことに気がついた。そして、出来事や考えなんかを書いていくと、永遠に書くことがあるくらいで、手が疲れる。

それは、さておき、他にも効果があることに気がついた。と言っても、ほとんどの人には、「当たり前じゃん」と言われそうなことだけど書いておく。

まず一つは、キーボードばかり打っていると字が下手くそになっていくのを、止められるばかりでなく、字を丁寧に書くことで、字が上手くなっていくことができる。さらに、僕は、普通の大学ノートではなく、六度法 美文字罫ノートっていうのを使っているのだ。

字を、斜め6度の角度で書くと綺麗に見えるため、ノートの中に、6度の罫線が薄く書かれているというもの。

と、ここでノートのことを紹介しようと思ったら、なんと、もう売っていないみたい・・・残念!

まあ、いいや。

字が綺麗に書けるようになるかもしれないだけじゃなく、漢字も自動で出てこないので、分からない漢字はPCで調べて書くようにすることで、漢字も覚えるかもしれないという副次効果があるカモ。

さらに、気がついたことは、こうしてキーを打って文章を書いているものというのは、ほとんどの場合、人に見せることが前提になっている。ブログとか、社内資料とか、プレゼン資料とか。その場合、書きながら人に伝えることを同時に考えているので、とんでもないことや、支離滅裂なことは書けない。そんなことを知らぬ間に書いてしまい、ポチッとしてしまったら、取り返しがつかないこともある。

その点、ノートは気が楽だ。行も決まっていないので、大きく書いても、斜めに書いてもいい。書きながら、感情を文章で書かなくても、筆圧とか文字の大きさとか、乱雑さとかで、感情を表すことができる。

こうして、キーを打っていると、思考としては論理的思考が働いているが、手書きの場合は、イメージしたことや、フッと浮かんできたわけのわからないことなどを書いてもいい。

そんなわけで、スマートノート通りに書き続けられるかどうかはわからないが、とりあえずやってみることにした。しばらくしたら、また、報告しようと思う。(続けてたらだけど)


via Mark な 人生



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