栗の木にぶら下がるカゴ。メジロ子育て中

僕が住む小屋のすぐ下、道の脇にある栗の木を見上げると、そこに、何やらカゴがぶら下がっていた。
少し前には、何も入っておらず、どこかの鳥が巣を作り、すでに空き家になっているものだと思っていた。

しかし、昨日、小屋を下って栗の木の横を通る時、何やらカゴの中から飛び出し、飛び去って行った。
「あれは、メジロだな」
で、カゴを下から見あげてみると、何かが動いている。

どうやら、メジロの子育て中のようだ。
親というのは、子を置いてさっさと逃げてしまうものなのか?
ハクビシンもそうだった。
僕が近づくと、でっぷりとした親らしき大きめのハクビシンは、さっさと逃げて、小さい子供は置き去りになっていた。
自然界というものは、そういうものなのだろうか?

人間界において、多くの人は『子を置いて親が逃げる』というのは、薄情だとか、人間として許せない行為だとか、時に犯罪者にさえなる。
しかし、単純に考えてみると、生命力の強い親が生き残り、また子を産めば子孫を残すことができるが、親が犠牲になり、生命力の弱い子だけが生き延びた場合、子が育ち、親になるまでに死ぬ可能性は高い。
そう考えると、親が子を置き去りにして、自分だけが生き残るということは『種の保存』の原則からすれば、非常に理にかなっている当たり前のことなのかもしれない。

カゴの中には、三羽のチビたち

親が逃げて行った後、カゴの上にスマホをかざして写真を撮ってみた。
すると、まだ、生まれたばかりの小さなひなが三羽いた。

巣に人間が近づくと「この場所は危険だ!」と考え、子育てを継続せずに、放棄してしまうこともあるらしい。
ただ、いつも春先になると、うちの軒先にぶら下げた巣箱を訪れてくるヤマガラは、僕が近づくと確かに親は逃げていたが、放棄するということはなかった。
大体、一日に何度も巣箱の前を往復するし、はなから、ここに僕がいるということは承知の上で、この場所に巣を作っているのだから、僕が近付いたからと言って放棄することはないだろう。

じゃあ、メジロはどうか?
メジロの巣も道の脇にあり、その道を、僕は何度も通っているわけなので、ヤマガラ同様、巣を作る前から僕の存在はわかっていて、そこに巣を作っているのだと思うのだ。

僕を“危険生物”だと見ていたら、軒先にも、道の脇にも巣を作るはずはない。
逆に、ヘビなどの捕食者から子供を守るのに、僕の存在を利用しているのだと思われる。

僕や犬やヤギがウロチョロすることで、ヘビなどの捕食動物は、その周辺に近寄ってこないし、そうした輩が顔を出せば、人間である僕や犬のFANが退治するという好都合な環境だということがわかっていて巣を作っているのだろう。

ただ、本当に『安全』とは思ってはいない。
もしかしたら、危険生物になり得る可能性は十分にある。
その点を考えて、僕が近付いてくると、親は飛び去って逃げていくのだと考えられる。

厳しい自然界と腑抜けの人間界

そういう意味では、自然界というのは、本当に安心できる場所も時もないのだと思う。
世間一般の飼い犬や飼い猫のように、人間がほぼ確実に安心できる存在で、確実に守ってくれるし、居場所は、完全に敵の侵入が阻止されている。
さらに、食べ物まで、なんの努力もなしに与えられるときたら、これは・・・いいのか、それで?
と、思いたくなるような、堕落した生活のようにも感じてしまう。

「うちの息子が引きこもりで・・・」「ニートで」「無職で」「ゲームばかりしていて」「働き出してもすぐにやめてしまうし」
なんてことを悩んでいる親たちは、これが結構多いらしい。
しかし、ペットだと思えば、なんていうことはないだろう。

犬や猫など寝てばかり、なんの生産性もない。
ただ飯を食って、寝て、フラフラして、飯食って、寝て、フラフラして。
と、繰り返しているだけである。

しかし、ペットの意義というのは【ただ、そこに居るだけでいい】というスタンスなのだから、子供もそうした目で見ればいいだけである。
すると、こうした言葉が返ってくる。
「将来が心配で」「私がいなくなった後、あの子はちゃんと生きていけるのか?」「結婚もできないで・・・」と。

だったら、タダ飯食わせないで家から追い出せばいいのに、それが出来ない。
心配するような子供というのは、ほとんどが20歳以上であるのだから、早ければ早いほど自立する力を身に着けることができるのに、親が、それをしない。
する勇気がない。内心、子供のことをペットのように思っている部分があるのである。
自然界も厳しいが、人間界も厳しい、そんな世界に子供を解き放してやるのも親の役目であろう。

自然界に生きる、動物たちは、そうしたことを当たり前のようにやるのだが・・・

人間のためだけに作られた都会と、いろんな生物がごちゃ混ぜに生きる自然界

僕は、東京都心のど真ん中で20年暮らしてきた。
実際、東京の都心というのは、意外にも緑が多い。
僕が住んでいた、赤坂には、赤坂御所があり、次に住んだ外苑前には、その名の通り外苑(神宮球場やら国立競技場やら)がある。
そして九段には、皇居や靖国神社があり、建物と建物の間は比較的感覚があるし、乱立したマンションばかりだが、敷地の多くに植栽が植えられている。

とはいえ、すべては自然の状態というわけではなく、人間が人間のために管理している。
実際、僕はマンションの理事長を4年間務めていたのだが、植栽には、化成肥料や農薬散布も定期的に行われていた。
植えた植物は育っていいが、雑草や虫は生息してはいけないということになっていたのだ。

そんなコンクリートジャングルと比べ、山は、とにかくいろんな生物がごちゃ混ぜに生きている。
とにかく、競争と戦いの日々だ。
常に警戒を怠らず、いつでも防御と攻撃ができる体勢でいなければならない。
その中で、自らの力でエサを確保しなければならない、子がいれば、親がエサを探しに行っている間、子は無防備な状態に晒されてしまう。

それを、他の自然物や生物を巧みに利用して生き延びている。
僕も、利用されている生物の一つであるというわけである。
とはいえ、僕としては、ヤマガラやメジロの子育てを、たまーに見ることが出来てご満悦であるし、特に、鳥のために何をするというわけでもなく、ただここに居るだけである。
さらには、親鳥たちが僕の畑から青虫を取ってくれていたら、尚よい。

都合の良い生物と都合の悪い生物のバランス

都会は、人間の都合だけで作られた世界である。
なので、都合の良い生物は人間のみで、そのほかは、基本的にすべて都合の悪い生物である。
銀座通りを、たぬきが歩いていたら大事なのだ。

しかし、山では、いろんな生き物が徘徊し、飛び回っている。
僕も、その中の一部分に過ぎない。
ただ、僕もやっぱり、僕の都合の良いように改造し続けている。

家の中には、他の生物は基本的には入れないし、車や倉庫に侵入してきたネズミなども、徹底的に捕獲する。
さらには、畑の野菜や果実も守る。
ただ、自然の中に生きている以上、完全に防御できるわけではない。

そこで『共存』という考え方になる。
メジロやヤマガラが、ヘビなどの捕食者から卵やひなを守ため、あえて人間の近くに巣を作り、人間の存在によって捕食者を寄せつけないという知恵を使っているように、他の生物の力を利用し、利用された生物にとってもなんらかの恩恵がある仕組みが構築されていれば、人も自然の中で快適に生きることができるのである。

わかりやすい例は、野菜を食べてしまうアブラムシをてんとう虫が食べる、同じように青虫を鳥が食べる、果実を鳥のために残しておくことで、鳥がフンをし、木々の栄養になるなどだ。
こうした生態系のシステムは、自然の中で作られていくものだが、そのため、人間の都合の良いようにはならない。
そこで、人間の都合がなるべく良くなるように、周辺環境のシステムを構築していくことが必要になる。

それを実現しているのが『里山』というシステムである

それは、自然の生態系を多少狂わせることになるかもしれない。
それでも、すべてを排除せず、共存していくための必要悪だと割り切って考えている。

実は、人の都合を優先しても、生物多様化を促進することに繋がっていく

僕がやっていること。
それは、僕に都合の良い環境の構築である。
ちっとも他の生物のことは考えてはいない。
他の生物は、僕が何かをしたことを利用しているだけなのだ。

僕がやっていることは、

  • 木を切る
  • 草を刈る
  • 建物を建てる
  • 土を掘って整地する
  • 切った木を燃やす
  • 排水・糞尿を埋める
  • 畑を作る
  • 動物を飼う
  • ガソリンや軽油を燃やしてエンジンを動かす
  • 道を作る

などなど、これが、どうなっているかというと。

  • 木を切ることで、残った木は大きく成長でき、たくさんの花や果実を実らせる。
  • その花の蜜や果実が、虫や鳥の餌になる。
  • 草を刈ることで、多様な草花が芽を出すことができる。
  • 草の間に隠れていた虫たちが見えるようになり鳥の餌になる。
  • 建物建てることで、鳥の巣ができ、ヘビなどの捕食者から守られる。
  • 整地することで、イノシシやたぬきなどが、畑を荒らしたりしに来にくくなる
  • 木を燃やしたり、排水を流すことで、土壌菌の餌になり土が肥える。
  • 畑を作れば、ミミズや微生物が増え、もっと土が肥えてくる。

もちろん、すべての事柄には、表があれば裏があるので、良いことばかりではなく、自然に対して環境に対して生物に対して悪影響も与えているだろう。
しかし、人間の都合を優先した開発は、自然に対して悪影響だけを与えているというような風潮にあるが、そんなこともないぞ!と、言いたいのである。

ってことで、メジロは、僕や犬やヤギの存在を利用して、都合の良いところに巣を作ったというわけなのだ。
やるなぁ、ヤツらも。

  • B!