民事調停申立書の提出

昨日、簡易裁判所に行き、民事調停の申立書を提出してきた。
僕の予想では、相手方(Dゴルフパーク:ゴルフ練習場)は、調停に出席せず、調停不成立となる可能性が高い。

裁判所での手続きなので、法的拘束力が強いように思えるが、調停の場合『行かなきゃ終わり』というものなのである。
相手側に、弁護士がついていれば、その程度のことは重々承知していると思うので、多分、出席せずに終わりとなってしまうと思う。

通常、調停不成立の場合は、民事訴訟となる。
今回の場合、光害に関して、法律も条例もない。
要するに、何の武器もないということである。

何も持たずに素手で戦うのだ。
さらに、共に戦ってくれそうな弁護士もいない。

民事訴訟になった際には、敗訴は確実なのだが、一つ希望がある。
それは、条例の制定である。

裁判所に行く前に、県議会議員さんのところへ行った。
実際に、条例を作るのには、膨大な時間と人と、構想と、さらに、ある種の力も必要だろう。
そう簡単な話ではないのは、わかっている。
それでも、出来ることを一歩ずつ進めていくしかない。

人生は、GAMEだ

人生というのは、GAMEである。
大人は「GAMEと実際の人生は違う」などと、子供に説教を垂れるが、本当のところは、GAMEと人生は同じで、GAMEは単に画面の中で行うものだが、人生は、体を使って体験をするってことである。
人生で経験できないことは、GAMEで経験したつもりになってやれば良いってことだ。

大昔のGAMEは、人生の代替えのようなものではなく、単に、本当にGAMEでしかなかった。
インベーダーゲームとか、パックマンとか、単純明快。
その後、NECのPC88やPC98などで、人生の代替えのようなGAMEが登場する。
『オホーツクに消ゆ』や『新宿中央公園殺人事件』など、アドベンチャーゲームがそれだ。

オホーツクに消ゆで、北海道へ行った気になり、ずいぶんと、湖の名前とそれぞれの特徴を覚えてしまった。
さらに、新宿中央公園殺人事件で、東京に行った気になり、新宿界隈をうろついている気分を味わった。

エロゲーなども、PC88、PC98から爆発的に出てきて、グラフィックがかなり綺麗になったのを覚えている。
若い頃は、ずいぶんとお世話になったもので、ビデオよりも、GAMEの方がストーリーがあって、自分の選択によって状況が変わり、より現実味があった。

そこからファミコンが登場、ドラクエ、ファイナルファンタジーなど、RPG(ロールプレイングゲーム)の全盛期が始まった。
こちらは、グラフィックはそこそこだが、現実では体験できない、いわゆる映画のようなストーリーを楽しんでいく。

さらに、主人公は成長し、多くの人と多岐にわたる会話をし、謎を解き、レベルの異なる敵と戦い、敵によっても特徴が異なって、いろんなことを考えながら進めていくことは、実際に体験できない人生を、仮想体験することへの第一歩となるゲームだった。

今では、大人になってもゲームばかりしている人もいるが、大人になるにつれてゲームから遠退く理由は、人生で実体験できる人生ゲーム(LIFE GAME)の方が面白いことに気づくからではないだろうか?
僕は、画面の中よりも、実際の人生をGAMEとしてPLAYする方が面白いことに気がついた。

40歳前に、一度、GAMEをやってみようと思い、ゲーム機とアプリケーションをいくつか買ってやってみた。
しかし、まったく面白くない。
リアルさを感じられないのである。

例えば、車のゲーム。
まったくリアルな動きはなく、ただ、アクセルとハンドルがあるだけ。
これなら、自分の車で、サーキットを走った方がいい。
考えてみれば、当たり前のことなのだが。

RPGは、あの頃、寝ずに何十時間もやり続けていた情熱は、すでに、これっぽっちもなく、すぐに飽きた。
主人公を画面の中で成長させるなら、自分自身を成長させる方がいいに決まっている。
時間の無駄でしかなかった。

敵を倒しまくるゲーム。
エアガンを買って、サバイバルゲームの方がいいけど、サバイバルゲームにしても結局、ゲームでしかない。
じゃあ、戦争にでも行って本物でバンバンやるか?というと、どれも、興味はない。
単純に打ちまくって、スッキリ爽快!ともならず、これなら、実際の人生の敵を、現代の武器と手法で倒す方が爽快だろう。

敵とは、恨むべき相手ではなく、適役の役者でしかない


人生には、ちょいちょい敵が現れる。
人類みな兄弟と言っても、人生を生きていると、そうとは思えないような人物も登場するのだ。
ただ、これも、どう言ったストーリーのGAMEをチョイスするのかによって異なるだけで、敵の登場しないGAMEを選ぶ人もいれば、敵がウジャウジャ現れて倒しまくるGAMEをチョイスする人もいる。

僕の選んだ人生ゲーム(LIFE GAME)のシナリオには、たまに、敵が現れるというシナリオを僕の魂は選んでいるらしい。
敵と言っても、バシッと殴って終わりとか、グサっと殺して終わりとかいうものではなく、アドベンチャーゲームのように時間をかけて解決していくというもの。
そして、常に、その敵の登場と解決によって、次の人生への足掛かりになるというのが、どうやら、僕のストーリーらしいのだ。

今回もそのパターンである。
前回は、建築業界の闇に引きずり込まれそうになり、その結果「自分で家を建ててやる〜」ってことで山にきた。
その前は、賃貸不動産業界で、良くある敷金返還問題。いかにも悪徳業者風な連中との戦いと諦め、そして、家賃に1億円以上支払っても、何にも残らなかった虚しさを味わった。
そのことで、賃貸を止め、購入するという考えに変わった。

そんな風に、敵が現れては消え、現れては消えということを繰り返している。
実に、面白いGAMEなのである。

適役の相手というのが、単なる役だとわかるのは、自分が死ねばわかるはずである。
生きている間は、人生という舞台の上に立っているわけで、舞台の上では、敵は憎むべき相手である。
しかし、舞台を降りれば、その相手は同士である。

人生において、敵になってくれる相手というのは、実際、仲間役の人物よりもありがたい存在であると認識する必要がある。
もちろん、舞台の上にいて演技の途中であれば、敵は敵として、目一杯憎んでいいとは思うから、人生の中では、敵をぶっ潰す!くらいの勢いで行く。
しかし、本質は敵ではなく、敵の『役』であることを知っておくことは重要だ。

今回の問題の先には、ステップアップの階段が隠れているのは確実だし、なんらかの解決がなされることも確実だ。
いつも通り、可能性がゼロ%に見えても、諦めずにやり続けることで、予想だにしない解決の糸口が出現することもわかる。
ただ、こうして先を見据えてしまっていると、思わぬ落とし穴があったり、なかなか解決しなかったりと、予想が大きく外れることも考慮しておかなければならない。

まあ、いずれにしても、すべてがGAMEであることには、間違いはないのだが。

P.S
今日の、Dゴルフパークは、夜になっても投光器の明かりが灯らない。
雪だったから休みにしたのかなぁ?
それか、お客さんが入らないから、居ない時には明かりをつけないことにしたのだろうか?
なんにせよ、Dゴルフパークの投光器の光がないのは、平和である。

まともな夜景が撮影できたのは、ここに来て三年半の中で、初めてかもしれない。
Dゴルフパークの投光器が灯ると、こんな風になってしまう。


 

-MARK'S LIFE:日常, MOUNTAIN LIFE:山暮らし, PROBREM:問題, RPG人生

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