煙突掃除するたびに、煙の抜けが悪くなっていた原因

薪ストーブの煙の抜けが悪い。
以前、煙突掃除をした時もそうだった。
抜けが悪い感じがして「ボチボチ煙突掃除でもするかな」と、思い。
煙突掃除をすると、逆に、もっと、抜けが悪くなっていた。

なぜだ?
不可解ながらも、何度か使っていると、元に戻るような感じがあったので、そのまま使い続けていた。

今回も、同じ現象。
そこで、今回は、分解して掃除をしようと考えた。
特に、うちの薪ストーブの煙突は、ややこしい構造になっている。

壁に出して、上に抜くのだが、ガラス張りのため、壁から出すのに天井ギリギリの部分しか出すことができない。
天井ギリギリで出すと、外に出したところで軒にあたるので、いったん下げてから、軒を回避し、上に抜くと言うややこしい構造になっている。

この、一旦下げた部分が曲者だ。

今回、新たに導入したアイテムが、煙突掃除用の金属ブラシ。
以前は、笹を切ってきて、笹でやった。
実際、笹で十分なのだが、煙突内部にこびりついたススを掻き取るために買ってみた。

通常、まともなしっかり乾いた薪だけを使っていたのなら、笹で十分だったのだが、乾いていない薪をガンガン燃やしていたため、外の煙突を伝って木酢液がボトボトと出るような状態だったから、ススもかなり付いているだろうと予測したのだ。

まず、最初は、分解しないで掃除をしていた。
煙突の中に金属ブラシを投入してみる「エイッ!エイッ!」
ところが、曲がりくねった部分で、突っかかってしまう。
笹の場合は、柔軟にスルリと入っていくのに、やはり、金属ブラシが硬いせいで、引っかかる。
仕方がないので、笹に変更して、一度は、煙突掃除を終えた。

一通り終えて、薪ストーブに火を入れると。
「モクモク・・・」「モクモクモクモク・・・」
やはり、前回同様、余計に煙の抜けが悪くなっている。
煙突掃除をして、抜けが悪くなると言うのは、一体どう言うことなんだろう?

しかし、前回は、しばらく使っていると普通の状態に戻ったことを思うと、今回も、何度か使っていれば大丈夫か?
そう思い、何日かは、そのまま使い続けたが、あまりにもけむい。
こりゃ、たまらんと思い分解してみることにしたのだ。
すると・・・

「あちゃー!こりゃ、抜けんわ」

なんと、問題に思っていた、曲がりの部分に、たんまりとススが溜まっていたのである。
これで、煙突掃除をするたびに、煙の抜けが悪くなった原因がわかった。
煙突内部のススを取り除こうとして押し出したススが、この、曲がりの部分に溜まってしまい、逆に、煙の抜けが悪くなっていたのだ。

さて、ここで考えた。
やはり、いったん下げると言うのは、どうしても、効率が悪い。
どうにかして、うまく、下げずに出来ないものか?と。

そこで、下げ幅を、軒ギリギリにしてみることにした。
そうすると、懸念されるのが、軒の木材と、プラスティックの雨樋への熱の影響である。
それに関しては、金属板を軒の木材と雨樋へ被せ、煙突の熱が直接当たらないようにすることで回避することにした。

これは、室内でも実証済みで、室内に置いた薪ストーブの周りは、ほとんど、ちっとも空間がない。
その中でも、問題だったのがトイレの扉である。
扉を閉めているときはいいのだが、扉を開けると、薪ストーブにあたるほど接近する。

薪ストーブを使い始めた時は、そこに気がつかず、ある日、トイレの扉を開けっぱなしにしていた時に気がついた。
「トイレの扉がめちゃめちゃ熱くなってる!」
「こりゃヤバイ、燃えてしまうぞ!」と。

そこで、こうした場合どうしたらいいのか、ググってみると、意外にも、簡単にアルミ板などをかませばいいことがわかった。
確かに、宇宙船もアルミ箔で覆って断熱しているし、緊急用の断熱シートも薄いアルミで出来ている。
ってことで、アルミ板を買ってきて、トイレの扉に画鋲で貼り付けてみた。
すると

「だいじょうぶだ〜」

ってことが判明した。
ってことで、わざわざアルミ板を買わずとも、そこらへんに落ちているガルバ波板の切れ端と、今回、煙突の改造のために切断した煙突の切れ端をくっつけた。
ガルバは55%がアルミで、波になっているので、空気層も確保され、きっと大丈夫。
煙突の切れ端はステンレスで、確かステンレスも断熱になるらしいので、きっと、こっちも大丈夫だろう。

と言うか、外に出た煙突を触ってみても、すでに、温度は触れるほどにまでなっているので、ほぼ問題なしなのだが、もしも、とっても寒い日に、薪をガンガン焚いて、とっても高温になった時のことを考えてと言うくらいであるから、まあ、念のためということで。

こういうわけで、今回も、問題が発生しては、なんやかんやと悩んで、考えて、いじくってみて解決したというわけである。
「人生なんて、こんなことの繰り返しだなぁ」と、しみじみ感じる。

小さな問題は、こんな風に、試行錯誤しながらも、なんやかんやと解決するが、大きな問題でも、解決までに時間がかかるが、いつか解決する。
人生に、問題なんて起きない方が良いと思う人は多いのだろうが、僕は、心の中でいつも、こう思ってしまう。

問題万歳!Welcome

こう思ってしまうたびに、懸命に否定するのだが、どうしても、心の奥底から、この言葉が出てくる。
かと言って、安泰に、本当に何事もなく過ごしたいのか?と、問われたら、首を縦に振ることはできない。

穏やかな日々は必要だが、それと、問題がないこととは違う。
問題があっても、穏やかな日々は過ごすことができる。
現に、僕は、それなりに穏やかな日々を過ごしている。
問題は、山積してはいるが、それはそれ、必ず解決することはわかっているので、バタバタする必要はないのだ。

48年間生きて来て、振り返ってみてみると、問題というものは、簡単に言えば【階段】や【坂道】のようなものである。
登るのは、少々キツイ。
問題がないというのは、平坦な道で、平坦な道というのは、人間、どこまでも歩いていける。

今では、携帯が万歩計代わりとなり、都会人の多くが、一日何歩歩いたなどと計測しているが、平坦な道を何歩歩いたからといっても、健康的になるわけではなく、なんとか、今の状態を維持するのに役立つ程度である。

人生も同じだ。
なんの問題もないというのは、平坦な道を歩き続けているのと同じ。
いくらでも、歩くことができるが、向上はしない。

ただ、ここで、僕は気がついた。
問題がなさそうに生きているのに、向上し続けている人もいるということに。
そんな人は、どんな道を歩いているのだろうか?と、想像した。

きっと、緩やかな坂道を、休むことなくゆっくりと、歩き続けているのではないだろうか?

僕なんていうのは、緩やかな坂道よりも、急な階段や、転げ落ちそうな坂道が、きっと大好きで「やった感」が欲しいのだろうと思う。
そのため、人生の中で、大きな問題を呼び寄せたり、何度も【問題】と認識できることに遭遇するのだろう。
僕は、そういう人生のシナリオを選んでいるのだと、48年経ってみてわかってきた。

問題というのは、僕の中の経験と知識を増やしてくれる

「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉がある。
僕は、多くを経験から学んでいる。
定番となっているようなやり方を最初から調べて、正解だけを行うというようなことをしないので、歴史からは、あまり学んでいないように思える。
そうなると、

僕は、愚者である

この言葉は、いろんな人が、いろんな解釈をしている。
ある人は、こう解釈していた「愚者は経験からだけ学び、賢者は歴史からも学ぶ」とか、「歴史から学ぶ賢者は、失敗しない故に賢者と言われる」などなど。

いろいろと、こんな風にお勉強をして知ったとしても、僕は愚者で良い。
まったくのゼロから、経験のみを頼りに今のLIFE STYLEを送ることはできないので、往々にして歴史(他人の経験)から学んでいるところは多いし、それがあるからこそ、山暮らしに踏み切ることができた。

そう考えれば、経験だけからは学んではないが、それでも、極力、歴史ではなく経験から学ぶようにしている。
そう、あえて、愚者になることを選んでいるのである。

昔の人の言葉なので「歴史」という一言で片付いているが、今の時代は、世界中のあらゆる人々の経験を、瞬時に知ることができる世界になった。
これは、まさに、科学が生み出したテレパシーと言ってもいいし、Google Earthは、どこでもドアである。

昔は、歴史や他人の経験を学ぶのには、それなりの行動と時間が必要だったろう。
本を調べるにしても、まずは、本を探すことから始めなければならないし、出費もかさむ。
人の経験は、その人から教えてもらわなければならないので、弟子になるとか生徒になるとかしなければならなかった。

そうした手間を惜しむものが、愚者と言われていたのかもしれない

賢者とは、歴史を調べる手間や、人に物事を教えてもらい、真摯に学ぶ姿勢を持ったもののことを言われていたのかもしれない。
今の時代は、簡単に歴史を調べることができるし、わからないことを手元で瞬時に知ることが可能だ。

だからこそ、僕は、経験を優先して、つまずいた時に歴史(他人の経験)から学ぶということに切り替えることができている。
今の時代のやり方の一つとして、こう言ってもいいかもしれない。

OLD TYPEは先に歴史を学び、NEW TYPEは後に歴史を学ぶ
NEW TYPEは先に経験し、OLD TYPEは後に経験する

昔の賢者が、まずは、歴史を調べたり、人に学んだりする手間を惜しまなかったとしたならば、今の時代は、失敗してみるという手間を惜しまないものが賢者と呼ばれてもいいのかもしれない。
いつの時代も、表面的に簡単に見える手段を取るのではなく、手間隙を惜しまないことを良しとするのなら、今の時代は、

失敗ができる時代

だと、僕は声を大にして言いたいのである。
失敗してからでも遅くないし、つまずいても瞬時に解決できる策を知っているのだから。

失敗万歳Welcome

あっ、また、こんなことを言ってしまった・・・

  • B!