信号のない横断歩道

一昨日、午後三時頃に出かけた。
すると、小学生の下校時間に当たった。
黄色い帽子をかぶった小学生たちが、数人で固まって歩いている。

信号のない交差点に差し掛かろうとした時、小学生たちが、その横断歩道の横にきた。
横断歩道を渡ろうとしているのか、通り過ぎるのか、明確ではなかったが、気にしながらアクセルから足を離した。

すると、横断歩道舗の方へ向きを変えたので、ルームミラーで後ろの車を確認しつつ、ゆっくりとブレーキを踏む。
前方から来たトラックも、ハザードを付けながら止まった。

小学生たちが、足早に横断歩道を渡っていった。

小学生の場合、数人で歩いているし、黄色い帽子とランドセルで目立つ。
歩道を歩いているだけでも、目に入ってきて気にする。
そのため、信号のない横断歩道でも、停止しやすい。

しかし、これが、黒っぽい服を着たような、大人の場合、歩道を歩いていても、なかなか気にすることはない。
歩いているのを、大して気にしないので、横断歩道を渡ろうとした瞬間でも、気がつくのが遅く、通り過ぎてしまうこともある。
特に、交差点ではなく、一本道の真っ直ぐな広い道路に、ポツンと引かれた横断歩道の場合は、特にそうだ。
そんな時、ほんのりと罪悪感が通り過ぎていく。

日本に住んでいると、信号のない横断歩道で、停止しない車があまりにも多いことが気になっていた。
道交法では、横断歩道の手前から徐行する必要があるし、歩行者がいれば必ず停止して歩行者を渡らせなければならない。
当然、それを行わなければ違反となる。

しかし、横断歩道の手前で徐行する車も、停止する車もほとんど見ない。
トラックなど、商業車の停止する確率は比較的高いが、一般車で停止するのを見ることは稀である。

ちなみに、横断歩道の数十メートル手前には、菱形のマークが書いてあって「横断歩道があるよ」と知らせているのだが「そんなマークあったっけ?」くらいにしか思っていない人が多いのではないだろうか?

前述したように、広い一本道の直線に引かれた横断歩道などは、スピードがある程度出ているために、発見が遅くなり、通り過ぎてしまうということを書いたが、実際、東京にいた20年間でも、横断歩道で止まる車は少なかった。

ただ、こうしたことを気にしているわけでも、啓蒙したいわけでもないが、僕が、ニューヨークへ1ヶ月間行っていた頃のことを思い出したので書くことにしたのだ。
主に、マンハッタンを丸々1ヶ月間ふらついていたのだが、その間、信号のない横断歩道で、車が止まらなかったことは一度もなかった。
ニューヨークでは、横断歩道に歩行者がいれば、停車するのが当然だと言う意識が根付いているのだろう。

日本人は、世界で「いい人」のように言われる。
僕も、そう思っている。
そして、アメリカ人、特に黒人やヒスパニックなどの人たちは、正直なところ「いい人は少ない」と思っている。
だから、ニューヨークに行った時に、黒人がたくさんいる場所は危険なので近づいてはいけないと思っていた。

現に、観光地に出向いた時に、黒人の若者が近づいてきて「1ドルよこせ」と言ってきた。
アジア人、特に日本人を見つけては「1ドルよこせ」と言って回っているようだった。
その時も、やっぱり日本人は、臆病でお金持ちだと言うイメージがついているのだろうと思った。

だが、実際に、昼間ではあるがハーレムをフラフラと一人で歩いていても、なんの危険もない。
1ドル黒人も、何をするわけでもなく、ただ「One Dollar」と言って手を出し、ちょっとおっかない顔をして立っているだけだった。
いざ何かあれば、こっちも、命をかけてやってやる!くらいに意気込んでいたが、結局、何もなかった。

逆に、スーパーマーケットに何度か行くと、レジの人(たぶんヒスパニック系)が気軽に話しかけてくるし、1ヶ月間暮らしていたアパートの管理人の若い黒人も気軽に話しかけてきたりした。
アメリカ人の中で、最も「いい人」っぽいと思っていた、中流階級以上の白人の方が、なんだがおっかない印象だった。

僕は、マンハッタンの中でも、島の先っちょの方、ウォール街に近い場所に居たので、きっと、ウォール街で働くような人たちが多かったのかもしれないが、白人は、気取った感じで、いかにも、アジア人を見下していそうな感じがした。
なので、僕の中の印象は、ひっくり返って、黒人やヒスパニックの人々みんなが怖い人ではなく、いい人の比率は逆に高いと言う印象を持ち、白人の方が、なんだか人種差別に慣れっこなのか、あまりいい印象を受けなかった。

もちろん、嫌な思いもした。
特に若い黒人の印象はよくなかった。
1ドル男もそうだが、道端の車で物を売る人、タクシーの運転手など、なんとかして、余分にお金を取ろうとする。
「目先の利益ばかりに目を向けていては、一生、お金持ちにはなれないぞ!」と、心の中で思いながら応対していたのを思い出す。

さて、そんな、ニューヨークでも、横断歩道を突っ切っていく車が一台もなかったと言う話なのだが、これは、習慣が根付いているかどうかだけの差かもしれないが、根本的な、考え方の違いでもあるようにも思える。

日本において、日本人の印象は、僕も思っているように「いい人」と思っていて、いい人だから・・・こうなるだろう、こうするだろう。と言う憶測に基づいた行動が多いように思える。
横断歩道において、日本人はいい人だから、車が止まらなくても、歩行者は横断歩道の前で止まると言う前提に基づいているのではないだろうか?
しかし、歩行者が、不意に横断歩道を渡ってきたらどうだろう?

轢かなければ「バカやろー死にてーのか!」などと叫んで行ってしまえばいいが、轢いてしまったら、当然、いろんな違反+罰金+治療費+慰謝料などなど、課せられる。
横断歩道で当たり屋のように出てくるような人だったら、請求は永遠に終わらないほど、絞り取られてしまうだろう。

そんなこと、起こるわけがない

と、誰もが思っている。
その根底にあるのが、日本に住んでいるのは、ほとんどが日本人で、日本人はいい人だからと言う前提に基づいた憶測に過ぎない。

だが、僕が、ニューヨークで感じたように、思っている印象と実際は、少し異なる部分があるようにも思える。
日本人だからいい人ではなく、日本人はいい人が多いと言うだけで、そうではない人だって大勢いる。
ヒスパニックや黒人は、悪い人が多い印象でも、実際にはいい人はたくさんいて、白人だって同じような比率だと言うことだ。

結局、日本人だからとか、黒人だからなどと言うものは関係がなく、どこの地域の人々であっても、いい人と悪い人の比率など、そう大差ないと思うのである。
この考え方は、僕の中で、もう、随分前から思っていることなのだが、ニューヨークでの出来事も、この持論を裏付ける結果となったことは確かだ。

悪い人が、悪さをしやすい環境と、悪さをしにくい環境というのはある。
それは、マンハッタンでは、横断歩道の歩行者を無視して突っ切ることは、やりにくいことだと思うのだが、日本では、横断歩道の歩行者を無視して突っ切りやすい。
歩行者優先違反の取締は、ほとんどやっていないだろうから。

僕が問題にしている、ゴルフ練習場の光害に関しても、東京では、周辺と明らかに異なるほどの光をばら撒くなどということは、非常にやりにくいが、田舎ではやりたい放題できるというのは、実感している。
どうやら、ゴルフ練習場の社長かはわからないが、議員さんなどに圧力がかけられているようなのである。
そうしたことは、四国という島国の、小さな地方ならではだなぁと感じる。

もちろん、大都市でもあり得ることだが、自治体が小さければ小さいほど、そうした圧力というのはやりやすいし、効果がある。
みんな、地元民だろうし、村八分を恐れているから仕方がないことだろう。

大阪にいた時も、悪い人たちは多かった。
その反面、いい人も多かった。
大阪という場所は、大きな田舎という感じで、悪い奴らは、本当にとことん悪い奴らだった。

愛媛に来た時、いい人が多いという印象だったが、そのことを、こちらで出会った人たちに言うと「そうでもないで」と返ってくることが多かった。
今となっては分かる。
どうやら、四国という場所の人々は、自分たちが「島国の人」という意識のようなのだ。
今では、本州と繋がる橋が三つもあるが、数十年前までは、一本もなく船で渡るしかなかったようで、そうなると、やはり、本州とは距離を感じるのは当然だろう。

この四国という島の中で、一つの世界が形成されてきたのだろう。
そうなると、やりたい放題の、お山の大将、井の中の蛙のような連中が、幅を聞かせるのも無理はない。

実際、車の運転マナーも酷いものがある。
もちろん、みんなではなく、一部の人たちの酷すぎる運転マナーが目立つという事である。

いい人は多い。
しかし、悪い奴らはとことん悪さをするという事だ。

話は、大きくズレたが、日本人の多くは、信号のない横断歩道で止まらない。
というか、止まらないといけないということを忘れているってことを言いたかったわけである。

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