グリフィンの祈り

《原詩:ある無名兵士の詩》

『大きなことを成し遂げるために
 力を与えて欲しいと神に求めたのに
 謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった。

 偉大なことができるように健康を求めたのに
 より良きことをするようにと 病気をたまわった

 幸せになろうと富を求めたのに
 賢明であるようにと 貧困を授かった

 世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
 得意にならないようにと 失敗を授かった

 人生を楽しもうとして あらゆるものを求めたのに
 あらゆることを喜べるようにと 命を授かった

 求められたものはひとつとして与えられなかったが
 願いはすべて聞き届けられた
 神の意にそわぬものであるにもかかわらず
 心の中に言い表せない祈りはすべて叶えられた
 私はあらゆる人の中で 最も豊かに祝福されたのだ』


僕も、思い出してみると求めたものは、与えられなかったなぁ。
でも、確かに願いは叶えられている。

今となると、このグリフィンの祈りにあるように「〇〇になりたいから、△△を求める」というように、自分の経験と知識、常識の思考で、△△があれば、〇〇になれると考えるのだが、大概、△△は与えられない。
そして、現実には、△△を手に入れても、意外にも〇〇は叶わない。

僕は、人生の途中で、そのことに気がついた。
△△の代わりに、いつも与えられるのは、もっと偉大なものだった。
自分の想像の域を遥かに超えたものが与えられる。

それが分かってからは、△△は求めるのをやめた。
「ただ〇〇となる」とだけ、心の中で宣言するようにした。

すると、そこに通じる道を進むための道具、グリフィンの祈りの中の最後にある「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」を与えられ、そこから、ゆっくりと、〇〇に向かっていく。
すると、途中で、自分は幸せであることに気がつき、他人が何を言おうと自分の中で「こうしよう」と決めたことを実行すると、いつの間にか誰かが「偉大」(とはちょっと違うけど、まあ、似たような感じだとして)と評価されるようになり、大きなことは成し遂げてないけど、結局、きっと、そうなってしまうものなのだ。

現在では、僕自身、弱く、病気で、貧困で、失敗者だとは見られることはないが、自分では、よく分かっている。
全部、正直なところ、いまだに当てはまっている。
もちろん、そんなこと誰にも言わないけど。
ここで、公開しちゃってるけど、ほとんどの人には、信じられることはないので良い。

でも、これって、実は、ほとんどの人が、自分自身に当てはまっていると思っているのではないだろうか?と想像する。
特に、強い人だと言われる人ほど弱さを実感し、健康だと言われる人ほど病弱で、お金持ちだと思われている人ほど実は困っていて、成功者だと崇められている人ほど自分ほど失敗している人はいないだろうと感じているのではないだろうか?

ちなみに、僕は、フォトグラファーとして、一定の評価を受けてきたが、実は、写真がヘタである。
いつも、写真はセンスだと豪語していたが、自分には、センスがないのはよく分かっていた。

その代わりに与えられてものが、本質を見る目と、人の心を動かす力だった。
それを使って、被写体を動かして、自分のセンスのなさを、被写体の美しさで補うことをしたことで、評価される存在となり得た。

もしも、僕が、センスを求め続けるだけで、それが、与えられないからとフォトグラファーという職業をやめていたら、もっと偉大な力も与えられなかった。
フォトグラファーとして、有名になろうとか、人に評価してもらいたいとか、そんなことは微塵も思ってはいなかったし、ただ、目の前のお客さんに喜んでもらいたいし、自分は楽しく仕事がしたかっただけなのだが、結局は、誰もが羨むほどの力と地位を与えられた。

その後、それを捨て、山にこもったが、また、世間の目にさらされることになった。
僕が山に来た時、実は、本当にお金に困っていた。
真っ赤なポルシェのオープンカーなんかに乗っているので、お金持ちに見えただろうが、ふところ事情は散々で、今だから言ってしまうが、もう東京で生きていくことは難しいと感じているほど困窮していたのだ。

山に来て一年後には、赤字続きの横浜店を閉店したことで、お金のダダ漏れを防ぐことができ、出費も減らすことができたので、楽になった。
山に住みたいということは、昔から思っていたし、自分の一軒家も欲しかった。畑もやりたかったから大きな土地も欲しかった、さらに、建築にも興味があったので、自分自身で家を建ててみたいという思いもあり、山に来ることを決断したのだが、そのきっかけは、お金がなさすぎたからというのも一理あったのだ。

ただ、こうした道のりは、失敗ではなく、正統な人生のルートであると僕は思っている。
だけど、グリフィンの祈りで言えば、「失敗と貧困を授かった」となるわけだ。

今日も、草をはむヤギたちを眺め、地面を足で引っ掻いて何かを突いて食べている鶏たちに微笑み、のんびりと暇そうに過ごす犬をガシャガシャと撫でながら、暖かい春の日差しを浴びながら過ごした。
心の中から湧き出てくるのは「平和だなぁ・・・」という思いだ。

本当に平和である。

「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」の先に、平和と幸せが待っていた。
そう言えるような今の生活である。


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