変なジンクスみたいだけど、なぜか、いつもこうなる。
雨が降る範囲は、広範囲なのだから、一人の行動によって雨が降るなんてことはない。
ただ、なんとなく、予想できることとして、日照りが何日も続いてくると、多くの人たちが「雨が降らんなぁ、、、ボチボチ、水を撒いておかないと枯れるかな?」と、思うタイミングで、同じように水を撒く。
その反面、天気の方は、何日も日照りが続いたが、ボチボチ雨が降るような空模様になってきていることは確かだった。
そこで、雨を待ちきれず水を撒いてしまう人間のタイミングと、雲が重くなってきて雨が降るタイミングが、同じように重なることで、
畑に水を撒くと、雨が降る
と言うことになってしまうのではないかと推測できる。
だが、これが面白いことに、「水を撒かずとも、そろそろ、雨が降るはずである」と思って、水を撒かずにじっと耐えていると、これまた、またまた雨が降らない。
それでもじっと待っても、いつまで経っても雨が降らない。
もう、このままでは、枯れてしまうと言う寸前に、水を撒くと、またまたこれまた、翌日に雨が降るのである。
本当に不思議だが、これは、
世の中そんなもん
と、言うことで、さらっと流してしまうのが良いだろうと思う。
正直、これにも、れっきとした理由が隠されているのだろうが、世の中のすべての原理を解明しようなどと思っても、土台無理な話である。
ただ、ほんの少しでも、わかっている方が、生きるのに有利であることも確かだ。
はなっから「そんなこと考えても仕方がない」などと、諦めて、流していたのでは、人生において「なんで、人生うまくいかないんだー!」と叫ぶことになるのは明白。
そこで、僕は、昔から周りの人たちに「答えが出なくも、とにかく、なぜ生まれてきたのか?なぜ生きているのか?考え続けるように」と言っていた。
これまた明確な答えなど出るはずもない、人生において、最大の難問なのだが、「どうせわかりっこない」と考えるのを放棄する人は、なぜか、人生がうまくいかない。
それに対し、答えが出なくても考え続ける人というのは、最終的な答えが分からなくても、考える過程において、ほんのりと、うっすらと、いろんなことが思い浮かび、その中に、人生を生きるヒントがいくつも存在することに気がついていくのである。
そのため、考え続ける人は、どんどん、人生がうまくいってしまうのだ。
畑に水を撒くと、なぜか、雨が降ると言うことも、「なんでそうなるんだぁー!」と嘆くのは簡単なのだが、なぜそうなるのか?と考え、そして、「これでいいのだ」と受け入れる。
それによって、次のステップに踏み出せる。
昨日撒いた種が、撒いた水と降った雨によって多少流されようとも、その分、間引きの手間が減ったくらいに思えばいいし、豪雨でなければ、なんていうことはない。
大体、たくさん水を撒いたと言っても、実際、大地から見れば、ほんの少しの水の量でしかないのである。
それに比べて、雨というのは、瞬間には多くは降らなくても、長く降ることで、降雨量が増し、しっかりと大地に染みていくのだ。
ってことで、雨が降っても良いってこと。
逆に、水を撒いた翌日に雨が降ると言うことによって、色々と考える機会を与えられたことに感謝さえしようと思う。