ありがとう瞑想

今朝、お香を焚きながら瞑想してみた。

瞑想は、毎日とは言えないが、
2,3日に1回くらいはやっていた。

しかし、どうしても集中できないし、続かない。
瞑想は「無」になるというのが一つの目的であるが、
どう頑張っても「無」にならない。

真我開発講座で習った、真我瞑想をしていて、
頑張って「無」になろうとするよりも、
だいぶ集中できるが、実際にはあまり変わらない。

真我瞑想は、「無い!愛の光」と唱え続けるというもの。
無いというのは、すべてが幻想であると認識するために言う。
その後、愛の光は、すべては「愛」すべては「光」であると唱える。

瞑想で、一つのことを繰り返す手法は多くある。
般若心経を唱えたりするのもいいようだ。

僕は、般若心経を覚えているわけではないので、
「南無妙法蓮華経」と繰り返し唱えてみたりした。

でも、結局、すべては幻想、愛の光、般若心経、南無妙法蓮華経も、
あまりピンと来てない。

そこで、繰り返す言葉を「ありがとう」にしてみた。
このほうがずっと身近で、瞑想がうまくいかない僕にはピッタリだった。

ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・
と繰り返していると、感謝したくなる出来事を思い出す。
そして「ありがとう」というと消える。
また思い出す、そして「ありがとう」と言うと消える。

さらには、感謝できそうもないことも思い出す
そして「ありがとう」と言う。
すべての出来事は、自分のために起こっている。

もしも、人が傷つきながら僕に嫌な思いをさせてくれていたら、
それは、僕が何かに気づきたいから、他の人が自分を犠牲にしてまでも
僕に教えてくれているんだ。そう思うと、とてもありがたく感じてくる。

そう思って「ありがとう」と言う。

瞬間的に感謝できそうもないことが思い出されても、
「ありがとう」というリズムを変えずに繰り返す。
そうすれば、その出来事は消えていく。

ずっと、頭の中に嫌なことが残っても、
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と繰り返してみる。

すると、そのうち違う出来事が出てきて、
感謝できそうもない出来事は「ありがとう」のシャワーを大量に浴びたまま消える。

それを繰り返していくと、
あまり物事を思い出さなくなる。
そこで、がんばって過去にさかのぼってみる。
そして、たくさんの出来事を思い出し、
そのすべてに「ありがとう」と言う。

さらにやっていくと、
ほんとネタ切れになってくる。
それでも「ありがとう」と繰り返す。

やってみたら、かなりイイ感じだった。
そこで、瞑想を止めてブログを書いてみた。
んっ?そこで止めちゃダメだったかな?

  • B!