またかよー、水でねーぞ

投稿日:2018年5月20日 更新日:

今朝、時計を見ると、4:50・・・まだ、起きるには10分早い。

ってことで二度寝。

次に目がさめると、6:40・・・何となく、起きたくはないが、僕の体の一部分はこう言っている。「さっさと起きて、トイレに行けや!by膀胱くん」と。

その声を無視して寝ることはできず、もそもそと起き出すと、寒い。

温度計を見ると、13.3度

昨日までは、20度くらいはあったのに、今朝は随分と寒い。

まずは、いつ片付けようかと思いながらも、まだ置いてあるストーブをつけてトイレに行った。

蛇口をひねると・・・水が出ない。

「またかよ」

今、考えられることは、整地作業によって露出したホースに傷がついて、そこから水が漏れて貯水タンクの水が空っぽ。という予想だ。

すぐに、服を着て外に出る。

僕の感情とは裏腹に、少し寒めの外の空気は、抜群に気持ちがいい。「あー、気持ちがえーなー」って、そんなことに浸っている場合ではない。

長靴を履いて、整地している場所へ向かった。

まずは、ゴム栓をしているところをチェック。水漏れの形跡なし。

そして、露出しているホースをくまなくチェックする。

う〜ん、どこからも漏れたような形跡はない・・・

となると、考えられるのは、致命的な出来事か?

ホーズを切ってしまった際に、大きな力がかかって、どこかの継手(ホースとホースを繋いでいる部分)が緩んでしまい、そこから水が漏れてしまっているという可能性がある。

もしも、それが、アスファルトの下などだったら、まさに致命的。

復旧には、何日もかかる。

そうなると、ここには住めないかもしれない。

そう思った時「水道から水が出る」という便利さに取り憑かれているのを感じた。

山に来たと行っても、僕のような山を買って住むような人たちの多くは、まずは、何もないところを開拓していくところから初めている。

僕はというと、最初から道もあり、小さくても快適な家があり、電気が引かれていて、ガスもあり、蛇口をひねるだけで水が出て、風呂もあった。それも、温水器ですぐにお湯が出る。(これは電気代をケチるために薪にしたけど)

そんな快適な山暮らしのスタートだった。

それが、水のホースが抜けて、復旧に数日かかるだけで「もう、住めない」などと泣き言を言うのか?

自分で、そう思って、ちゃんちゃらオカシイわ。と思った。

そんなことを思いながら、貯水タンクを見に行った。

予想は、当然タンクの中身は空っぽ。と言うことであったが・・・満タンに入っていた。

ってことは、解決!である。

ホースを露出してしまったことで、垂れ下がり、その垂れ下がったことによって、水が下に落ちていく勢いがなくなってしまっただけだと判断。

ってことは、ポンプを作動させて水を送ってやれば、万事解決なのでは?

早速、ポンプを始動させる。

蛇口をひねると・・・出た。

ポンプは、問題が発生した時にだけ使用していたので、実は、もういらないんじゃないか?と思っていた。

しかし、神様はこう言っていたのだろう。

「いやいや、ポンプ使うで」と。

ポンプのためだけに、電気料金の基本料金を支払い、そこまでの電線が、杉を伐採するのに邪魔だったため、電線と電柱も全て撤去してしまおうとも考えていたのだ。

だけど、今日の出来事で思い直した。

今、整地している場所は、駐車場と家も建築する。

今住んでいる小屋よりも高い場所にあり、貯水場所と高低差があまりないのだ。

そのため、水圧が低かった。

その低い水圧を解決してくれるのが「ポンプ様」だったのだ。

いや〜、神様ってステキ。

ちゃんと、こうやって教えてくれるんだわ〜。

電線と電柱を撤去してしまったら、また取り付けたいと言うことになれば、すべての費用を自己負担しなければならなかった。

あー、よかった。ほんと、マジで。

このところ失敗と問題続きだけど、「ちくしょー」じゃなくて、結果を見れば「あー、よかった」ってことになってる。

世の中の問題も、失敗も、「ちくしょー!」って誰かのせいにしたりしてちゃー、問題は全く解決せずに繰り返す。

なんせ、神様が「気づいてよー」と思えてくれているメッセージなんだからな。

ほんと、神様って親切じゃ。

もうちょっとわかりやすいとありがたいんだけど。

とも思うが、わかりやすすぎたらすぐに忘れちゃうから、ちゃんとインパクトのある出来事にしてあるんだろうなぁ。

そうそう、今ちょうど、こんな本を読んでいるんだ。

僕の好きな「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)のパクリみたいなやつなのか?と思いながらも買ってみた(中古)のだけど、ちょうど、今回の出来事のようなことが書いてあったのだ。

自分の中にある「観念」を書き換えたらいいって書いてある。

観念ってのは、なんかとなんかをくっつけている事で、例えば「失敗=良くない事」と言う観念。

これを「失敗=成功への一歩」と言う観念に変えてやれば、失敗も受け入れられるようになる。

今までや、ここ最近の数々の失敗や問題があったが、結局は、解決すれば「経験」が「学び」となり「知恵」になり、いいことづくめだったのだ。


今日の出来事も、今後に繋がる重要な出来事だったのだ。

これを「ちっ、冗談じゃないぜ、こんなとこ、もう住めるかー!」と投げ出すようだったら、なんの成長も向上もなかったのだ。

どんなことにも、必ず道はある。

考えて、考えて、考えぬき、行動して、失敗して、また行動していく。

万策尽きても、まだやり続ける者のみが、最終的に栄光を手にするのだ。

ノーベル賞受賞者とか、オリンピックのメダリストとか、いろんな有名人の話の中にもよく出てくることだな。

他人は、その栄光しか見ることはないので、その前の、ドン底は見ることはない。

だから、さも順調に栄光を手にしたように思ってしまう。

どんなに言葉で「ドン底だった」と聞いても、ドキュメンタリードラマで再現しても、そんなことは他人にはわからないものである。


それでも、失敗は嫌だ。

できることなら、極力、うまくやりたい。

問題は嫌だ。

極力、防御を固めて問題が起こらないようにしておきたい。

だからこそ、失敗や問題が、インパクトの強い出来事なんだろうと思う。

どれだけ「失敗=成功へ一歩」と思っていても、いやなものはいやなのだ。

人生って、複雑なようで単純、単純なようで複雑って感じだなぁ。すげーな。


via Mark な 人生



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