「あー、人生のしがらみのようだ」と感じたよ。
人生を生きれば生きるほど、どんどん絡み付いてくる「しがらみ」という得体のしれないもの。
木に絡みつくツルのように、体に巻き付いてくるわけではないが、確実に人の行動・言動・考えなどを縛り付けてくる、厄介な存在だ。
しがらみは、ツルのように目に見えない。
知らず知らずのうちに、巻きつかれ、気がついたときにはどうしようもない状態になっていることもあるだろう。
ほっておくと、そのしがらみによって、性格まで変えられてしまうかもしれない。
こんな感じに。
締め上げられて、こんな風になってしまう。
ねじれた性格になってしまう可能性だってあるのだ。
こうなっても、木は木、そして、人間も、一人一人は、価値ある存在だが、それでも、素直に育つ木に価値を感じ、ねじれた木に価値を感じないように(特殊という意味では価値があるけど)、人も同じかもしれない。
自らの意思で形を変える分には、それはそれでいいと思うが、こうして、知らないうちに巻きつかれ、締め上げられて変わっていってしまうのは、それは、とても悲しいことだ。
そのツルは、自分だけではなく、その周りにもツルを伸ばして、どんどん成長していく。
それは、しがらみに巻きつかれた人が、周りへもその悪影響を及ぼしていってしまうのと同じようだ。
自分自身は、何もしなくても、そこに巻き付いたものが影響するのは、会社の不満を家庭で発散するような人などに例えられるだろう。
そして、最終的には、木は枯れてしまうか、人に切られてしまうのだ。
この桜の巨木。
何本ものツルに絡まれている。
それでも、必死に生きている。
きっと、近くに生えていた木であろう、枯れた木の幹がツルにから割れたままくっついているのも見える。
しかし、残念ながら、このままほっておくわけにはいかないのだ。
この桜の木は、伐採してしまった。
山なら、どこでも、ツルが伸びているというわけではない。
どうも、僕が思うに、やっぱり「気」が関係しているような気がするのだな。
気がいい場所は、こんな風になっていない。
気が悪い場所は、こんな風になっちゃう感じがする。
実は、この、ツルだらけの場所は、一箇所に固まっているのだ。
そして、そこには、ゴミや廃棄物が捨てられてしまっていた場所なのだ。
人間社会でも、同じではないかと思う。
しがらみだらけの不自由な場所、家庭でも会社でも、学校でも、そんな場所の気は、どんよりと滞っていないだろうか?
風通しが良く、光が照らし、気持ちのいい人たちのいる場所では、きっと、いい気が流れているのではないだろうか?
木々は、自分でツルを断ち切ることはできないが、人は、自らの力で、ツルを断ち切ることができる。
少し前に、ベストセラーになって、話題になっていた「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」という本に書いてあることも、似たような感じではなかったかと思う。
人は、本来、自由だ。
しがらみに絡まれると、そのしがらみによって支えられて生きているような気にもなってくる。
ツルがなくなったら、自分を支えきれないんじゃないか?と。
でも、実際には、人は自分の足で立っているし、自らを支えられる力があるものなのだ。
多少、筋力(体も心も)が弱っていたとしても、鍛えれば回復するものなのだ。
さあ、立ち上がれ人々よ。
自らの足で立ち、歩きだそうではないか。
などと、思いながら、ツルをバッサリ、木をバッサリやっていた一日でした。
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