話題とは違う意味での年金問題

年金問題といえば、世間で言われるのは「財源確保」とか「支給額が減るとか」「受給年齢の引き上げ」など、

もらう側の事ばかり

まあ、日本の年齢比率からして、老人ばかりなので、老人も若者も同じ1票であるのなら、数の多い方に寄り添うのが、得票数で決まる政治家の宿命だろう。

とはいえ、本当にそれでいいのだろうか?
働く側の負担は、どんどん増えている。
ほとんどの人たちは気が付いていないだろうが、年金の支払額は、ほんの少しづつ上げられ続け、水から煮られているカエルのように、働く人々の首をゆっくりと締め付けている。

サラリーマンの方々も、給与明細を見て「年金高いなぁ」と感じると思うが、それと同じ額を会社が負担している。
要するに、給与明細に書かれている年金の支払い額の倍額が、実際の年金支払額と言う事なのだ。
とんでもない金額を支払わなければならないことがわかる。

さて、今回の出来事は、細かいことなのだが、若干愚痴。
何年かに一度、年金や健康保険の支払い額の算定が正しくされているか?と言うことを調べる調査に来るように呼び出される。

愛媛に来て、ちょうど2年。
松山西年金事務所に出頭した。

僕は、20年間経営をしてきて、会計については、非常にクリーンにやっている。
まったく不正は行なっていないので、堂々と胸を張って行ける。

しかし、今回、指摘を受けた。
言われてみれば、むか〜し、聞いたことがあったような、なかったような・・・
と言う話だが、

年金の支払い額の基準となる報酬には「交通費も含まれる」

と言うもの。
はっきり言って、どう考えてもおかしい話なのだが、そう決まっているので仕方がない。

都度利用するような交通費は、経費として清算してしまえば、年金の基準額などには該当しないのだが、定期などの場合、現金支給であっても、現物支給であっても年金の基準額に含まれると言う規定になっている。

税金面では、こうした交通費は、当然非課税なのに、少しでも多く徴収しようと言う考えなのだろう。

結果、修正申告が必要になった。
しかし、僕は、ここで、ある聖書の一節を思い出してしまった。

「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
悪人に手向かってはならない。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。 
だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人達でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

マタイによる福音書5章38-48節

この中の、特にこの部分。

あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。

この世の多くの人たちは、常に「足りない」という幻想に捕われれいる。
本当は、なにも足りなくなることなどなく、常に、必要な分は与えられるし、満ち足りる。

それがわかっていれば、自ら与えようとするときだけでなく、奪われるようなことであっても、ためらわず渡すことができるか?さらに、求められるよりも多くを渡すことができるのか?

それが出来るとしたら、悟ることができるだろう。
僕は、心の奥底から、何のためらいも、疑いもなく、この聖書の言葉通りにしたいと言う思いはある。

しかし、如何せん凡人。
なかなか、そうは思えない。

「くそっ!年金、こんなに取りやがってー!ふざけんなー」

と、声を大にして叫びたいのだ。
でも、もし、聖書の言葉通りに出来たら、きっと、世界は変わるのだろうなぁ。

お出かけ前の1枚。砥部町を出るときはカレヤンで。

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