栗の渋皮煮をやってみた

先日、栗を火の中に入れてみて、「火中の栗を拾う」のことわざの通りに、火中の栗を拾ってみたのだが、真っ黒焦げでもったいないことをした。

今回は、ちゃんとレシピを確認して、栗の渋皮煮を作ってみることにした。

レシピを見ると、工程が長い。

1.そのまま煮る

2.鬼皮を向いて、重曹で煮る

3.お茶で煮る

4.砂糖とワインで煮る

と、4回も煮るのだ。

それに、小さい栗も全部やっちゃったので、鬼皮をむくのにめちゃめちゃ時間がかかった。

それでいて、一晩置くといいらしいので、まだ1つも食べてない。

最近、木の枝を片付けたりしているんだけど、今日の、鬼皮を向いている時もそうなんだけど、「単純な作業を繰り返す」ってことが、昔からとっても苦手だった。

どうしても、途中で嫌になってしまうのだ。

しかし、木を片付けていたり、皮をむいていても、嫌になって来ない。

なんでだろうか?と、考えていて、もしかしてコレか?と思うことが出てきた。

それは「考える」ということを同時にやっていることが、飽きて来ない理由かもしれない。

考えると言っても、もっといい方法は?とか、そういうことではなく、全然違うことを考えている。

その間、動きには注意しながら、体と神経は作業に集中しているもの、頭の80%程度は、別のことを考えながらやっている。

さらに、体を動かしながら思っていることがある。

それは、自分は今、トレーニングしてる。と、思ってる。

多少の負荷がかかる程度の負担を、何度も何度も行って、質のいい筋肉を形成するためのトレーニングだ。

なので、どこの筋肉を使っているのかを意識しながら体を動かしている。

昔は、そんなことを考えながら、単純作業をしてはいなかった。

考え事は、していたことはあっただろうが、その間、体と神経は作業に集中できていなかったように思える。

あと、昔の単純作業は、雇われの身で、やらされている間が強かったし、なんのためにやっているのか、自分自身では理解していなかったし、そこに目標や達成感はなかった。

しかし、今は、なんのためにやっているのか明確だし、目標や達成感もあり、ゴールも見えている。

今までは、単純に「単純作業は苦手」と思っていたけど、そうではないことがなんとなくわかってきた。

目的が明確にわかり、目標を定め、ゴールによって達成感を得られれば、単純作業も苦ではないのだろう。

<渋皮煮にワインを入れろってレシピにあったので、栓を開けたついでに一杯飲んでみた>


via Mark な 人生



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