愛媛じゃ、みかんは「もらうもの?」

「愛媛じゃ、みかんは、もらうものだよ」

ここでは、それが常識らしい。

昔も、浜松にいれば、爺さんが三ケ日みかんを作っていたので、みかんは常に「タダ」だった。

東京に出て行ったばかりの頃は、みかんを食べなかったけど、上京から2年後に会社を作って、年賀状を爺さん婆さんののところに出したら、みかんを送ってくれるようになった。

なので、幼い頃からずっと「みかんはタダ」だったのだ。

そして、ここ愛媛に来ても、やっぱり、みかんはタダらしいのだ。

俺は、みかんに愛されているな。

おととい、出かけていて帰ってきてみると、テラスにみかんが置かれていた。

そこらへんの、落ちていた炭で名前が書いてあった。

下の土地の、じいちゃんだ。

ありがたい!

この土地に来てから、いい人にばかり巡り会う。

先日、「いい人ばかり」だと話をしたら、「そんなことはないよぉ」と返ってきたが、それでも、やっぱりいい人ばかりだと思う。

東京の人たちが、いい人ではないのではなく、なんとなく、お互いにパーソナルスペースというか、少し離れたところから、人に接する感じがあると思う。

しかし、ここでは、もっと近い感じがする。

僕が(いや、みんなも?)イメージする田舎の関係性が、ここにあるのではないだろうか?

現代の都会の家は、マンションにはオートロックが付いていて入れない、一軒家でも中の見えない塀で囲まれていて、勝手に人の家の庭に入って、縁側に座れるような家はない。

でも、僕は、勝手に入って縁側に座れる家がいいと、ずっと思っていた。

プライベートスペースがないのではなく、道側の庭と縁側は、言うなれば知り合い同士の共有スペース(誰でも入れるオープンスペースというわけではなく)でいいのではないだろうか?と思うのだ。

今、この山には誰でも入れる。

「御用のない方立入禁止」の看板はあるが、僕がいるときは見えないようになっている。

まあ、言うなれば、家の門が空いているのと同じだな。

門が開いていて勝手に入れる、そのまま、縁側へいける。ウチではテラスだ。

だからこそ、みかんがもらえる。

テラスに冷蔵庫があるから、豆腐や卵が入ってる。

そんなことが可能なのだろうな。

アホ取らずに行っちゃう。でも、居ない。

「それでも、いいか」と思えるのがいい。

都会のように、菓子折りを買って、訪問着を着て、さあ行こう!と気合を入れて人のお宅へ行って、居なかったら、ちょっとショックだけど、普段着のまま、ちょっと寄るって感じで行って、居なくても置いてきちゃう。

お礼に、半返しとか、全返しとか、倍返しとか?いやいや。

そんなことは考えずに、あるとき払いって感じで、まあ、無いなら無いで。というくらいの軽い感じでいるのがいい。

都会から移住して、田舎暮らしをしている人の中には、コミュニケーションで苦労する人も多いらしけど、僕は、今の所大丈夫そうだ。

僕が思うには、僕がやっていることや、住んでいる場所や、やろうとしていることが、その地域の人たちにとっても、ちょい変わっていることがいいんじゃなかろうか?

千代田区から来た・・・そんな奴は周りいない。

写真撮影が生業・・・そんな奴もいない。

山に住んでいる・・・今時いない。

自分で家を建てる・・・素人が?

ポルシェに乗ってる・・・なんなんだ!

自己紹介のチラシを作って配ってる・・・政治家か?

変だけど、まあ、面白そうなやつじゃんか。

と、思ってもらえていればOKだな。

あー、俺っちも、ぶどうとか作って、みんなに配りたいぜ。

メロンも作りたいし、桃とか成らないかなぁ。

家ができたら、みんな、遊びに来てくれるだろうか?

炭焼き小屋にあった、囲炉裏の暖かさがよかったので、早速、設計に囲炉裏をプラスすることにしたんだ。

あっ、家の話は、また今度。


via Mark な 人生



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