TOKYO芸術めぐり

山に戻ってきました!

今回、水曜日の朝に出て、土曜日までの4日間。
かなりの時間を、美術・芸術を見て回ることに費やした。

まず訪れたのは、青山にある『岡本太郎記念館
ここは、元岡本太郎さんのお家。
お家といってもデカイ!
それも、場所は青山。
THEお金持ちって感じだけど、記念館ってなっちゃってると、小さな印象になってしまう。

ここは、岡本太郎さんが実際に使っていたアトリエが、そのまま残されていて、いくつもの作品が、この場所から生み出されたことを直に感じることができる。

そして次は、すぐ近くにある『根津美術館
僕は、青山に10年も居ながら、どちらにも行ったことがなかったのだが、青山を去ってから来ることになるとは思ってもみなかった。

根津美術館の魅力は、やっぱり庭かなぁ。
実際、僕は、そんなに美術館というところが好きなわけではなく、今回のきっかけは岡本太郎さん。
あのピカソのようなイメージは、一体どこから出てきたのだろう?
という疑問から始まった。

で、これは、実際に、作品を間近で見て、触れられれば触れて、その芸術が生まれた場所、きっとまだほんのりと、太郎さんの “気” が残っているのではないか?と思われる場所へ行ってみようと思ったのだ。

根津美術館は、まあ、言ってしまえば、その次いでなのだが、しかし、庭がいい。
東京には、こうした広大な敷地の日本庭園が多く残されている。
そのほとんどは、公営となっていて、元々は武将や政治家などが所有していた場所であるが、根津美術館は、東武鉄道社長だった実業家である根津さんが作ったもので、国民の税金で贅沢に作られた庭とは一味違う趣がある。
それが、心地いい雰囲気を出しているのだ。

武将や政治家などは、庭それそのものも権力の象徴として、足を踏み入れた者を圧倒させるような作りになっているが、根津美術館のそれは、人が心地よく過ごすための庭として作られているのである。

この時、美術館の展示は、茶器だったため、着物姿のおばさまがたがたくさん来館していた。
日本庭園と着物は、とても合うが、僕はいつも、着慣れておらず、振る舞いも美しくできない着物姿の女性たちを見ると、少し残念に思っている。

それはさておき、次に向かったのは『新国立美術館
12月16日まで行われている、カルティエ展を見ようと思って向かった。
カルティエ展に入ると・・・

おおっ、すげー人だかり。

10月から始まって、すでに2ヶ月以上経過しているというのに、この人の多さはなんなんだ。
それも、平日なのに。

まあ、いる人々は、ほとんどが専業主婦っぽいようなおばさま方ばかりなので、平日も休日も関係なないのだろうけど、それにしても、他の美術館や展示場とは比べ物になならないほどの人、人、人である。

展示されているもののほとんどは、お店に行っても置いてなさそうなものばかり、1つ1億円とかそんなレベルの品々が飾られていた。

僕は、気に入ったものを見つけると、そこで、じ〜っとしてゆっくりと見るのが好きなのだが、一つ一つ、まっすぐ前からしか見ることができないような展示の仕方になっているものがほとんどで、一度に見ることができるのは、数人となってしまい、ほぼ流し見で見て終わってしまった。

新国立美術館内の展示スペースは、メチャメチャ広く、他にもいくつかの展覧会が行われていたので、見てみた。
すると、最近の絵画というのは、ピカソや岡本太郎さんのような、抽象画?がほとんどだった。

「な〜んだ」

最近は、こういったのが主流なのか。
それにしても、みんな、脳みその中、どうなっちゃっているんだろう?

僕の頭の中には、こうした抽象的なイメージは出てこない。というか、具体的なイメージもうまく作り上げられないけど。
僕が、自分で描いた絵で覚えているのは、中学2年の時の美術の時間。
テーマは自分で決めて、好きなように描くというものだった。

僕の頭の中には、ワープゾーンの中に漂う、カクカクした柿が浮かんだので、それを描いていた。
絵としては、なかなかうまく描けているように思えた。

そこに、太り気味の美術の女教師が来てこう聞いた。
「永田くん、このテーマは何?」と。
んっ?テーマ?

僕は、頭に浮かんだものを描いているだけで、テーマなどを持って描いていたわけではなかったので、

「テーマはないよ」と答えた。

この学期の美術の成績が、3から2に落とされていた。
テーマがなく描いていただけで、成績を落とされた(と、僕は思っている)この出来事は、30年以上経っても、鮮明に覚えている出来事である。

これ以来、僕は、絵を描くことが嫌いになったのだ。

さて、つづきがまだあるが、また次回。

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