新たなる命の息吹

松山という地名だけあって、この辺りは、松の山だったのだろうと思う。

ここも、部落の人たちによると、松の山で、たくさんマツタケが採れたそうだ。

今では、松はポツポツとあるだけで、立ち枯れしている松の木がたくさんある。

近年、松を枯らす細菌が繁殖していて、どんどん松が枯れてしまっているようだ。

今日、切り倒された松の木に、新しい芽がチョコンと出ているのを発見した。

よくよく、山を見渡せば、新しい松の木が出ているのを、何本も発見できる。

松は枯れてはいくものの、新しく芽も出ている。

しかし、新しく出てきても、大きく育っていかないのではないかと思う。

その理由の一つは、成長途中で、細菌や虫にやられるというのがあるが、若い木が枯れているのは、あまり見つけられない。

僕が感じた理由としては、(もちろん、山初心者の勝手な思いだけど)山の環境が、新しい松の木が育ちにくい環境になっているのではないかということだ。

それは、ここもそうだが、人の手が入って手入れをされてはいない山がほとんどだからではないだろうか?

僕の出身は、静岡県浜松市。

ここにも、「松」が出てくる。

浜松の松は、「浜」とセットになっているように、浜にある。

遠州灘という、海岸線に、太平洋からくる強い潮風をさえぎるために人工的に植えられたものだ。

さらに、街道沿いにも松がたくさん植えられている。

「遠州の松並み木」ということもが言われるほど。

浜も街路樹も、行政の管轄なので、当然手入れがされている。

枯れることもあるだろうが、全滅してしまうような事態にはなってはいない。

しかし、松山は、山自体が、行政の管轄ではなく、多くが民間の土地だろうから、所有者が手入れをしていかなければ、枯れていってしまうのは防げない。

岡山で、物件を探している時に、山が荒廃しているのを見て、不動産屋さんに訪ねたことがある。

「なぜ、こんなに山が荒れているのでしょう?」

すると、昔は、薪を使っていたので、山に薪を取りに入って手入れをし続けていたが、今では、電気やガスがあるので、薪を取りに山に入らなくなってしまったためだと教えてくれた。

杉やヒノキの植樹林もそう。

大規模な林業を行っていればいいが、個人の山に生えている程度のものでは、出荷しても1本1,000円にもならず、当然赤字になってしまうし、運び出すのも大変なため、使うこともしないのだそうだ。

そのため、枝落としもせず、間伐もしない。

細いひょろひょろとした、枝のいっぱい伸びた木がたくさん生えている山になってしまう。

地面に光が当たらず、草も生えない。地面は枯れ葉で覆われていて、昼間でも真っ暗。

そのため、土は育たず、木も細いため根も深くならず、そうなると、山も死に、川も死ぬ。

そんな場所だらけのところで、松も元気に生育できるわけはないのだ。

森を復活させないといけない。

松山と言う地名にふさわしい(実際には、伊予郡砥部町だけど)松の山を、もう一度取り戻さないといけない。

昔は、マツタケがいっぱい採れたそうなのだ。

松が復活すれば、また、昔のように、マツタケがいっぱい取れるようになるかもしれない。


via Mark な 人生



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