都会人の移住者は、天使か悪魔か?

以前ネットで、こんな記事を見た。 

「都会人が、田舎暮らしをしたいと言って、人が住まないような場所に住んで、不便だからと、行政にやたらと要望を言う、迷惑な人々がいる」
と書いてあった。 

まあ、まさに、僕のことですけど。(記事自体は、僕のことではないです) 

でも、そこに都会人が住もうとするということは、少なからず、都会の誰かさんにとってみたら”良い場所”なんだと思う。 

 だけど、地元の人にしたら、”どうでもいい場所”でしかない。 

 僕はこう思うのです。  

道が整備されて、山が手入れされて、山だけど住める環境ができれば、都会人にとって魅力のある場所になるんじゃねーの?と。

 地元の人たちには、全く、魅力的に感じない場所でも、都会人にとって魅力満載だったら、過疎化なんてしないし、税収も増え予算も増える、店でも出来ればお客も増えて、どんどん潤う。 

 

都会人の、迷惑な要望は、未来の繁栄への第一歩かもしれない。 

と、思ってもらえると良いんだけどね。 

 地域でも、会社でも、学校でも、どんなコミュニティーでも、成熟してしまったら、内部の人間だけでは、ほぼ活性化できない。これは、絶対そうだと思う。
 

そこに、外部の遺伝子が入り込むことによって、化学反応が起こって革命が成し遂げられる。 

だけど、ほとんどの場合、よそ者の意見は聞き入れられないし、否定されるし、「ここでは通用しない」などと言われる。
そして、結局、また同じもがきを繰り返すのだ。 

 そこで、僕は思う。

「否定ばかりでは、衰退しか生まない」と。

「郷にはいらば、郷に従え」

もちろん、それはそうだろうと思う。

しかし、もしも、郷がなんらかの問題を抱えていたらどうだろう?

僕の場合は、元々、みかん畑がたくさんあったという山。

今では、みかん畑は、見える限り一つもない。

そうして、みんな山に入らなくなっていったと言うのだ。

山は、荒れ放題、そして、道も整備されず放置状態。

山は、そのままにしておけば「自然」なのではない。

いまの山は、多くが、植林された杉林。

ほったらかしにしてしまっていては、杉は細く高く密集して伸びるだけで、太くはならず、さらに、高い位置を葉っぱで覆ってしまうため、下に光が届かず、草も生えない。

杉は根を深く張らず、他の木々も育たないので、木の根で土を固めることはできずに、結局、土砂崩れなどの災害の原因になっていく。

雑木林だって、ほっておけばいい感じになるわけではない。

雑木だって、みんな自分が伸びたいと思っている。

だから、密集して生えてしまっていれば、杉と同じく、細く高くなるだけだ。

実際、山の木々よりも、東京の街路樹や公園の木の方が、よっぽど太くて立派なのだ。

それは、周りにライバルがいないし、空に空間もあり、光も十分に当たる。

空気の汚染度とか、人の多さとか、土を踏まれるとか、いろいろあっても、東京の方が木が大きく立派に育っているのだ。これは事実。

多くの人たちが知っているのは、人の手が入った山や森。

そこを「自然」と思っているが、実際の山のほとんどは、そんなに綺麗な場所ではないのだ。

木々が密集して、全く大きく伸びることができないし、生存競争が激しすぎて、弱い木々は、どんどん枯れていってしまう。

さらには、密集しているが故、虫の天敵の鳥などが飛ぶ空間が少なく、虫が多くなることによって、木や草が虫に食われてしまう。

生態系が、正常に回っていない森が多いのだと僕は思う。

そうした、山や森は、ほとんどが私有地で、一般的に立ち入りができないから、世間に知られることはないのだ。

昔っから、全く人間の手が入っていない場所であれば、生態系が長い年月の間に、確立されているかもしれないのだが、一度、人間が手を入れて、植林したり、畑を作ったりした後で、ほったらかしにされている山や森は、生態系が崩れたままになってしまっているのではないだろうか?

そうした場所は、もう一度、生態系を正常にするために、人が「自然」に戻すように手を入れていかなければならないのだろうと思う。

または、人が自然の中で暮らすことができるように環境を整えて、人も含めた自然環境を構築していく必要があるのだと思う。

ほっておいても、いつかは生態系が正常に戻るとは思う。

しかし、それは、何十年程度でいいのか?何百年かかるのか?全くわからない。

僕が全国の山を探して回ってみたり、この場所で生活してみた限りで言えば、ほってある山々のほとんどは、荒廃しきった山や森でしかなかった。

僕は思う。

山に価値など感じない田舎の人たちに代わって、田舎に住みたいとか、山に住みたいとか言っている、都会の連中に、いっぺんやらせてみてはどうだろうか?と。

もちろん、木のことも草のことも、虫のことも、土のことも、なんにもわからない連中だろうけど、わかってくれば、田舎の人たちとは違う発想が出るのではないかと思う。

都会の移住者たちも、単に、郷に従うだけでなく、今までの人生で培ってきた、都会のエッセンスを田舎に注入して、革命とまでいかなくとも、地方再生の手伝いくらいは出来るのではないだろうかと思う。

都会と田舎、どちらがいいとかいうことではなく、郷に従うだけでなく、自分を貫くだけでなく、どこかに「いい感じ」ってのがあるんだと思う。

田舎だって、なんでも自然と一体の生活ではないのだ。

むしろ、都会よりも文明的というか、環境に良くないことはいっぱいしている。

ちなみに、アイドリングストップなんて田舎の人は、全くしない。

電気自動車なんて、全く走ってない。

殺虫剤や除草剤なんて撒き放題って人もたくさんいるのだ。

有機野菜コーナーなんて見たこともないぞ。

歩きタバコも、ポイ捨ても、平気のへっちゃらだ。

僕は、今後、田舎への移住者は、どんどん増えると思う。

そんな中、移住者が増えていく地域と、過疎化衰退していく地域と大きく分かれてくると思う。

その時の鍵は、移住者を活用できる地域と、できない地域によって分かれるのではないだろうか?と思っている。

移住者に何をしてもらうのか?

単に、田舎の考え方でいれば、きっと、移住者が増えても衰退していく。なぜなら、移住者の多くが若者ではなく年配だからだ。

結局、年寄りが増えるだけで、税収は増えず、人口が少し増えても急速に減っていくことは、免れられない。

それよりも、元気な若い移住者が増えていかなければならない。

そのためには、受け入れる、郷に入れるだけでなく、都会のエッセンスを取り入れ、若者の突飛な考えを受け入れ、今までやったことないことをやっていくことが、これからの、高齢化し過疎化し衰退していく地域のやるべきことだろうと僕は思っているのだ。

「都会人が、田舎暮らしをしたいと言って、人が住まないような場所に住んで、不便だからと、行政にやたらと要望を言う、迷惑な人々がいる」

こんな奴らを、除外するのか、受け入れるのか、未来は、ここから分れていくような気がする。


via Mark な 人生



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