フキノトウ終わる

春一番の山菜といえば、フキノトウだ。
今年は、もう三回も天ぷらで頂いた。
ブログにも、Youtubeにも、今年は登場させなかったので、食べてないと思われていたかもしれない。

この約一年ほどの間、週末には、山友たちが、いろいろと作業を手伝ってくれていて、さらに、ランチも用意してくれたりする。
なので、フキノトウの天ぷらなども、週末ランチにいただくため、動画を撮らずじまいなのである。

以前の動画やブログでも言っているが、フキノトウが苦いというのは、時間が経ってしまうからで、採りたてのフキノトウは、まったく苦くない。
逆に、苦味がまったくなくて、わさび抜きの寿司のように味気ない。
以前は、30分〜1時間ほどがちょうどいいと言ったが、今回、3時間ほど置いてみたところ、3時間経っても、苦すぎるということはなく、逆に、3時間くらい置いた方が、苦味の度合いがちょうどよかった。

そんなフキノトウも、もう終わりである。
ここからは、タケノコとタラの芽が登場する。
いよいよ、春の山菜祭りが本格的に始まる。

いつも言っているが、こうして山菜を自分で摘んで、採りたてをすぐに食べられるのは、プライスレスである。
どんなに高級料亭に行ったとしても、時間を買うことはできないのだ。(正確にはプライベートジェットやヘリで運べば可能だけど)

この一、二日、ネットフリックスで「美味の起源」という中国製作の番組を見ている。
ネットフリックスでは、ほとんどがアメリカかイギリスの番組なので、中国はとても珍しい。

この美味の起源。
他の食の番組などと比べて、めちゃめちゃ旨そうでヤバイ。
その理由の一つは、そこに出てくる料理が「買えない」ということがある。

三話まで見たが、一話と三話が、捌きたての羊、二話が七年ものの百合根である。
現地にいなくては味わえないような逸品で、映像の作りもとっても美味しそうに撮影されている。
手が届かないと思うと、無性に食べたい衝動に駆られる。
これらも、完全にプライスレスだ。

世の中には、もちろん、とんでもない額を出さなくては食べられない、とんでもない料理というものも存在する。
僕自身、それなりに高級と言われるようなフランス料理を、それなりに食べてきた。
その感想は『驚愕』という一言で表せるほど、とんでもない料理だったが、今では、それよりも、プライスレスなものに惹かれる。

これからずっと先の未来には、プライスレスなものを求める人たちが増え、さらには、お金だけでは買えないという世界が来る。
逆に、ものやサービスを買うというか、受け取るということに対する対価が、お金以外のものの方が重要になっていく時が来る。

世界は変わる。
ゆっくりと、知らない間に。



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