悪の中にも、汚れの中にも、醜さの中にも美しさを見よ

四国八十八箇所 お遍路の旅 4日目の朝がきました。
今日は、沢山の夢を見ました。

悲しい夢、追われる夢など、
決してHappyな夢ではありませんでした。
しかし、そこにさえ美しさを見ることが大切だと教えられました。

一見悪に思えること、一見汚れて見えること、一見醜さに目を覆うものも、
その本質を見ることに心がける必要がある、
その奥に、その先に、もっと大きく見ることによって美しさが見えてくる。

一部分は悪に見えても、全体をみれば悪であることも多い。
それはすべてに言えることだと思う。
自分たちの体でさえ、悪玉菌善玉菌など両方いる、
細菌もたくさん住んでいる、悪いものと良いものが共存している。
良い状態を保っているのは、良いものが悪いものよりも多いということだけだ。

世の中もそう、すべて相対になっている。
善に見えるときは、善の力が悪の力よりも少し勝っているだけだろう。
一部の悪を見て「悪いことだ」と決めつけないことが重要だし、
悪の中にも愛や美しさが存在する。

どんな行いも愛に基づいた行動である。
それは、最も小さな愛は自己愛だが、家族のためや、
ねずみ小僧やルパンのような考え方の悪もあるだろう。
戦争であっても、自分の国を守ることや、家族を守るために戦っている。
決して人を殺したいだけではない。

第二次世界大戦をみると、日本は敗戦のおかげで世界第2位の経済大国へ成長できた。
酒酔い運転のひき逃げ事故や殺人、レイプなど凶悪犯罪と言われるものがあるが、
その時には深い傷を追うが、そのおかげで警察機関が発達したり、法律が改正されたりする。
凶悪犯罪が起こらなければ、そうしたことはほとんど行われないのが現状だ。

やったことは悪かもしれないが、社会全体からみれば必要なことだったかもしれない。
社会全体から見て必要だった場合、誰がそれを担うか?
犯罪を冒した人が、その役目を私たちのために担ってくれたとも考えられるだろう。
そんなわけがない!と反論する人もいるだろうが、一つの考え方として捉えて欲しい。
そこで、すべての人が社会のために存在しているとするならば、
自分は社会のために何をしているのか?そう、問うてみてほしい。

だから、本来、どんな行為も罪に定めることはできないのかもしれない。

すべての、悪や汚れ醜さをじっと見つめれば、
きっと、その中に美しさが見えてくる。
今夜は、そう教えられた気がしました。


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