New York 18日目 SAKURA Festivalへ

しばらく前に、アッパーウエストを北に行ったところにある、
グランド将軍の墓と、その隣にあったSAKURA PARK
今日は、ここでSAKURA Festivalがあるということを知ったので行ってみることにしました。

昼の12時から16時まで、いろんなアーティスト達が歌や音楽をやるようです。
僕が到着したのは、13時過ぎ。結構人がいましたねー
見渡すと、当然日本人も多いのですが、いろんな人種がおりました。
まあ、マンハッタンには、はじめからいろんな人種がいますけど・・・

来ている人たちも、ステージに登る人たちも、
本当に様々で、いつか世界中がこうなるんだろうと感じました。
同時に、ガンダムを思い出してしまいました。

そういえば、アムロもシャアも日本人じゃないなー。
日本人は・・・ミライさん(苗字はヤシマだし)
あとは、リュウさんもそうかな?苗字なんだっけ?ホセイでした。
うーん、そうすると日本人ではないな。ハーフだったりして。
考えてみれば、ハーフやクオーターなんてのも当たり前の時代になるよな。

えー、余分だと思いますが、ガンダム登場人物一覧を調べてしまいました。
すると、以外と日本名が多いですね。
ハヤトは純日本人ぽいようです。苗字はコバヤシでした。
あと、タムラ、マサキ、キムラという3人がいます。
そして、キッカは、苗字がキタムラです。へー、なかなか知らないですよね。
ジオン軍では、ミサキ、アサクラという2人っぽいですが、
アサクラさん、よく覚えてますよ。
ほんとチョイ役なんですけど、ジオンの中で日本名で呼ばれることが稀なので記憶してました。
確かザビ家の誰か(キシリアだったかな?)に3回くらい呼ばれるんですよね。

ガンダムは、このくらいにしてSAKURA Festivalに戻ります。
いろんな人種が、一つのことを目的として何かしている風景は、とても良い感じです。
見ている側も、席を譲り合ったり一緒に盛り上がったりしていて、世界を感じることができました。

この公園は、ハーレムではないけど、ハーレムの目と鼻の先にあります。
なので、今回は、黒人シンガーも多く登場!

photo:01



やっぱり、凄いです。声量がハンパない。
身体構造が違うとしか思えませんね。

さて、どうやら今回のメインイベントは、和太鼓のようです。
和太鼓といえば、少し前に赤坂サカスに聞きに行ったことを思い出します。
初めてコンサートを聞きましたが、本格的に聞くのは、40年生きて来てこれで2回目です。
結構、聞く機会ないんですよね。琴の演奏もありましたが、琴なんていうのもなかなか聞けません。

今回の和太鼓チームは、「瑞宝太鼓」と言って、
なんと!全員が知的障害者。
しかも、アマチュアではなくプロフェッショナルです。
もうすでに、プロとして10年活動しているんですって。すごいですねー
なので、演奏は、ちゃんとプロでした。
http://www.airinkai.or.jp/jigyosyo/zuihoutaiko/

photo:02


やっぱ、和は、いいわ。
(ギャグじゃないよ)

その時にもらったチラシを帰って来てから読んでみると、
これがなかなか良いこと書いてある。

ちょっと、頑張って転記してみたいと思います。

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日本の長崎からアメリカへ 2012

日本の長崎からアメリカへと長い長い旅をして、
私たちはやっと皆様に出会うことができ心が震えるような嬉しさです。

私たちの旅はこの世に生まれた時から始まりました。
まだ母親の胸に抱かれ、お乳の匂いと暖かい母の体温に包まれて安心してスヤスヤと眠りながら、
人間に生まれた喜びと輝かしい人生を夢見ていたその時、両親は医師から宣告されたのです。
「この子は知的障害児です」と。

確かに私たちは知的な障害があるため普通の学校にいれてもらえず、
養護学校や特殊学級で学びました。
私たちは勉強も運動も働くことも同じ年代の人たちに比べるとほとんどのことでいつも「びり」でした。
「哀れで可哀相な障害者」これが私たちに貼られたレッテルとなり、
どこへ行ってもついて回りました。

障害者である私たちは家族や故郷を離れ福祉施設「コロニー雲仙」での生活を始めました。
100名の障害者が職員に見守られて、一見ユートピアのように見える施設での生活は、寂しく悲しい毎日でした。
母に会いたい、自由な生活がしたい、会社で働きたい、一人の人間として認めてもらいたい。
私たちは障害者である前に人間なのです。
しかし、そんな「思いや願い」を訴えることが出来ないのが私たちの個性であり障害なのです。

福祉施設のような特別なところではなく「ふつうの場所でふつうの生活」を目指して
自分でも驚くほど努力しました。
幸運にも私たちは、我が国初のモデルとして作られた知的障害者の職業訓練施設、長崎能力開発センターに入校し、2年間職業訓練を受けることができました。
ここで、働くことの楽しさを知り、そして厳しさを身にしみて感じながら職業を持ち、社会の中で自らの力で生きていく自信を得ました。
苦しい時、ふと心が安らぐひと時は、日本古来から伝わる和太鼓の響きに耳を傾け、自ら太鼓をたたいている時でした。

私たちは何も出来ないのではなく、何もさせてもらえなかったのです。

私たちの仲間のほとんどの人が職業を持ち、ふつうに結婚して子育てをしている仲間もたくさんいます。
自らの意志で選択して生きています。
私たちの日本の国も長年続いてきた福祉の政策も大きく変わり障害者の地域移行・地域生活が主体となってきました。

私たちは全員、知的障害がありますが、太鼓を職業としているプロの太鼓奏者です。
プロになって10年を迎えることができました。
海外遠征の文化交流派遣団としては今回が6回目、初回の1992年スペインにおいては仲間達のパラリンピック出場の応援と閉会式等での演奏、アメリカでは1997年、国連が提唱した国際障害者の日の記
念行事として国連で演奏を行いました。
日本からアメリカに桜が贈られて100周年という記念すべき年に再び、アメリカでは演奏する機会に恵まれたことを大変嬉しく思います。

・・・・以下省略

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もう少しあるのですが、この辺で。

実は、20歳頃に何度か知的障害者施設へ行っているんです。
あっ、入所しているのではないですよ。
知り合いが働いていて、チョコチョコ行ってみたというだけです。

知的障害と一口に言っても、たぶん、知的障害レベルというものがあって、
太鼓をやっている人たちや職業訓練が受けられる人たちは比較的軽い方だと思いますが、
僕が行っていた施設は重症レベルでした。

内容はさておき、上記に書かれているように、
実は、「何も出来ない」のではなく、本当に「何もさせてもらえない」んです。
僕の知り合いの職員は、それを改善しようと、絵を書く時間をとってみたりしていたのですが・・・
どうなるかというと、まず、障害者の皆さんの親御さん達に反対されるそうです。
なぜなら絵を書くためには「紙や色鉛筆、クレヨン」などの道具が必要だからです。

施設からは、余分な経費は出ませんので、
親御さんにお金を出してもらわないといけないのですが、
どう考えても有意義には使われそうもないことに、
「可能性があるから」と、言っていつまでも出し続けるというようにはなりません。
まあ、当然といえば当然ですね。

本人達が「やりたい」と声を上げるわけでもなく、
自らの率先して絵を書くわけでもなく、
紙や色鉛筆が、なんのためにあるのかもわからないのですから。

それ以外にも、いろんなチャレンジを試みるのですが、
結局は、肉体的疲労と精神的疲労で、職員自身がもたないのが現実です。

僕には、そんな程度しかわかりませんが、
毎日現場にいる人、知的障害者の人(上記にあるけど、伝えたいけど伝えられないという葛藤など)、そして家族の人たちなどは、すごく大変だと思いますね。

ふっ、と昔のことを思い出してしまいました。
だいぶ異なりますが、僕も英語が出来ず伝えられない思いを持って、今、生活しています。
頭ではわかっているのに伝えられない。とてももどかしい気持ちです。

ですが、どんなことでも成せばなる。
今日の、瑞宝太鼓の皆さんに改めて、教わった感じがしました。

いい話はこのくらいにして、
ここからの帰りが今日は大変でした。

週末は、電車の動きが平日を異なるようです。
本数が減って、時間が変わるくらいならいいのですが、
なんと、アパートメントへ帰ろうにも、
途中で「LAST STOP」家まで電車で帰れません。( i _ i )

なんせ、英語が読めませんから、
張り紙が貼られているのに、なんて書いてあるのかちゃんとわかりません。
周りをみると・・・・人が少ない?
別のラインのホームへ行ってみると・・・・人がいない?

そこに、アジア人の女の子が来ました。
中国人っぽいかな?結構かわいい・・・

すると、後ろ側にいた黒人がアジアンガールに声をかけました。
「・・・・・・」僕には、全く何を言っているのかわかりませんでしたが、
そのアジアンガールは、英語でチャチャっと返事をして、
黒人と共にすぐに階段を登って去って行きました。
「ここに電車はこねーよ」だったようです。

なんだよ!俺には、なんにも言ってくれねーのかよ。
同じアジアンじゃんかよー

通常なら、10分程度で到着のところ、
結局、1時間ほどかかってようやくアパートに到着しました。
メチャメチャ疲れた。

<おまけの写真コーナー>

photo:03



帰りにコロンビア大学を通って来たら・・・すでに夏でした。みんな芝生で日光浴してます。さらに、ライブをやってます。この前もやっていたんですが・・・まさか、いつも?

photo:04



コロンビア大学の警備車両ですけど、注目は「SONATA」韓国のヒュンダイの車です。

photo:05



ここは、モーニングハイツと呼ばれるあたり。
丘の上にあって、東側が公園になっているため、朝日が抜群なんでしょうね。
先日UPしたセントラルパークの西側もいいですが、ここもいいなぁ。

photo:06



これは、駅構内のエレベーターの出入り口。
メチャメチャ汚れています。もしかして、掃除しないのかも?



最後は、公園のベンチのところにある、なにやら模様の入ったテーブル。
ぱっと見なにかわからなかったのですが・・・・わかりました!チェス板です。
ベンチもちゃんと向かい合わせになっているんですよ。

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