今日も、獣道を行く

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今朝は、久々に、沢沿いを登ってみた。
昨年の豪雨によって、沢から水がはみ出して周辺一帯のいろんなものを押し流した。
そのため、沢の脇は、倒木や枝などがすっかりなくなり、とっても歩きやすい道が出来たのである。

その沢沿いを登っていった。
ここを登るのは、ほぼ1年ぶり。
豪雨の後に行った切りだった。

登るにつれ、沢の水量は減っていく。
上の方から水が湧いているというわけではなく、いろんなところから水が集まってきて水量が増えていっているので、上に行けば行くほど、水は無くなっていき、こんな光景も現れる。

岩盤がむき出しになっている状態の『滝』?と言ってもいいだろう。
雨が降って、水量が増えると、なかなか風情のある滝になりそうな気がする。

尾根まで登ってみようかと思ったけど、結局、途中で断念して横に逸れた。
山には、至る所に獣道があるのだが、そう思っていたところ、その脇の木々に、ビニール紐がつけられていることに気がついた。

獣道だと思っていたところは、実は、人が意図的に道をつけたところだったのだ。

そう思うと、急に安心感が湧いてきた。
このビニール紐に沿っていけば、ちゃんとなんらかの場所に出ることができるのだ。

しばらく、この道を歩んでいくと、ふっと気がついたことがある。
それは “道を外れないように” ということを気にしながら歩いていたことに気がついた。
ビニール紐の無い場所を歩いているときは、どの方向に行けばいいか?ということを、逐一立ち止まり、自分の意識を集中し、周りをよく見て、僕を導いている目には見えない光のようなものを感じながら歩いていた。

しかし、ビニール紐を見つけてからは『この道で正しいか?』とか『ビニール紐はどこにある?』だとか、そんなことばかり気にしながら歩いていたのだ。

安心感は、危険だと感じた

ビニール紐によって、僕が感じた安心感は、僕の感覚を麻痺させていることに気がついた。
これは、実社会でも同じことが言えるのでは無いだろうか?

人生に引かれたレール

先を進んでいく人たちは、決して特別裕福でも、幸せそうでもないけど、それでも、レールの先が見えるというのは、とても安心できる。
そのレールから外れない限り、よっぽどの不幸な人生になりはしないという確信が持てる。

この状態は、エサを与え続けられた野生動物のようなもので、一生飼われ続けなければ生きていけなくなってしまう。
人も、それと同じことが言える。
誰かに養ってもらわなければ生きていけなくなってしまう。

ビニール紐が見つからなくなった時点で、どうすればいいかわからなくなり、常態化してしまったら、自分の意識を集中して道を探すと言うことを忘れてしまう。

そんなことに気がついた。
それからは、ビニール紐を探すのをやめ、自分の感性だけで、前をよく見て歩き出した。

すると不思議な場所を見つけた。

写真では、まったくなんだか分からないのだが、杉の木が15m x 5mの範囲を囲うように植えられている場所があった。
植えるときに、何か意味を持って植えたのか?と、思うが、なぜこうしてあるのかはまったく不明。

ビニール紐の通りに進んでいたら、この場所には出会えなかっただろう。
人生においても、レールの上を歩かないでいたら、安心感はないが、こうした出来事に出会える。
それが、自分で道を切り開く醍醐味だろう。

いつか、この不思議な空間を使って何かしたい。
また一つ、やりたいことが増えた。

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