娘から母へ 撮影のプレゼント

こんにちは、ALIA Markこと永田昌徳です。
僕が以前撮影した方が、母の誕生日に撮影チケットをプレゼントした。

撮影チケットをおもてだって売っているわけではないが、
こうしたギフトとしての撮影を頼まれることがしばしばある。

チケットをプレゼントしたのは今年の3月。
あえて、6ヶ月間の期限を設定し、期限内に使用しない場合は、
送り主に代金を返金するというシステムにしている。

送られた方の心情は・・・
第一に「困った」である。

社会人になると、写真スタジオへ行って写真を撮るなどと言うことは滅多になくなる。
しいていえば、子供の撮影のために一緒に行くくらいだろう。

そして、子供も大きくなれば、
写真スタジオなど、用のないところとなってしまう。

ずっと先になれば、必要かもしれないが・・・

ということで第二に思うことは、
いつかくるその日のために。

と、なる。

そこで、観念してか予約の電話を入れるのである。

メイクが終わり、いざお母さんに会ってみると、
予想通り浮かない顔をしていた。

聞いてみれば、もらったときは、やはり「困ったプレゼントをくれたものだ」と思ったという。
それは、そうだろう。

いつものようにレッスンをして、着替えをしてもらって、撮影に入る。
撮影し始めていても、なかなか乗らない。

しかし、僕にとって見れば、予想の範囲内でどうということはない。
顔色が変わるときがいつかは分かっている。

それは、もちろん「モニターで写真を見せたとき」だ。

始めのうちは、モニターで写真を見ても、文句しか出ない。
それは、自分の嫌なところを見つけては「ここがイヤ」「あそこがイヤ」という。

そこで僕はこう言う
「今日のルールは否定しないことです。否定した言葉を使ってはいけません。」
なぜなら、言葉で言ったとおりになるからです。

今日、僕はシャッターを切って時間が来たら仕事が終わりということもできる。
しかし、そういうわけにはいきません。

料理人なら、素材を自分が選べます。
しかし、僕たちの仕事は、素材がお客さんであるために、
素材を選ぶことが出来ない。

いくら腕が良くても、素材がイマイチでは最高のパフォーマンスは出せません。
そこで、素材をUPグレードさせるというのが僕たちの技の一つ。

人は、誰でもその人なりの良さを持っています。
キレイな部分、可愛い部分、ステキな部分、そうした良さを見つけて、
それを表現できるようにするのが、僕たちの役目です。

ですから、正直「(お客さんへの)注文が多いです」

しかし、一生のうちで何度もない経験ですし、
今日も、ほんの1,2時間です。

もうここに来てしまったのだから、
諦めてやってみてください。

そんなことを伝えている。

そして、撮影した写真を見ていくうちに、
どんどんと表情が変わってくる。

撮る→見る→撮る→見る→撮る→見る

と、繰り返していくことが、
自分自身が、どんどんステキになっていくのが分かるから、
ほとんど、どんな人でも楽しくなってしまう。

僕にしてみれば、毎日のようにやっている当たり前のことだが、
撮影に来る方にとってみれば、人生で全く経験をしたことのない
不思議な体験になるようだ。

なんといっても、何十年も付き合ってきた「自分」なのに、
そこに写っているのは、全く見たことのない自分なのだから。

それも、誰かの力で変身しているのではない。
プロのメイクとチョットオシャレな服を着ているが、
始めに撮られた写真は、いつもの自分。

写真をコマ送りで見ていくと、
徐々に、見知らぬ自分に出会う。

そして、奇跡の一枚と呼ばれるような写真に出会うことになる。

それは、明らかに自分である。
小細工など一切していない。
光で誤魔化すことも、修正することもない。

たった今の自分がそこに写っている。

もちろん、その姿を永遠に継続することは難しい。
しかし、「いた」ことは事実だ。

なぜ、そうできたのか?
それさえ検証することが出来れば、
もっと長い時間、僕の手を借りることなく
ステキな自分を出すことが出来る。

それが出来るように、
あえて、ダメな写真も含め全てのデータを渡す。
(*閲覧専用)

この経験をした母が、
今度、娘に会ったとき。今までよりも輝いていたら、
このプレゼントは、価値があったと言える。

写真という物質を提供しているのではなく、
人生がステキになるきっかけを提供する。
それが、僕たちの仕事なのだから。

  • B!