ここから30分も車で走ると、建材ばかりを売っているホームセンターがある。
水道工事に使う部品も売っているので、急ぎの時は、そこまで走って行って買うのだが、今回、必要とする部品が売っていなかった。
そのため、ネットで注文することにした。
「発送まで5営業日」となっていたので、およそ1週間で到着を見込む。
今回、使えない状態なのは、外にある蛇口1つだけなので、さほど急がないでいた。
しかし、実際、今まであったものが、急に使えなくなるというのは、なんだかとっても不便に感じる。
無ければ無いで、なんとも思わないのだろうが、あったものが無いというのは、こんなにも不便さを感じるものなのかと痛感した。
部品は1週間で来る見込みでいたのだが、2週間経過しても到着しない。
問い合わせてみると、入荷未定となってしまったとのこと。
仕方なく、別のメーカーの同じ仕様の部品を注文。
合計で、およそ3週間外の水道が使えなかったのだが、昨日、ようやく部品が届き、早速、水道工事。
久々に、外水道から水が出た。
人は一度経験した「便利」を手放せないものなんだな
僕は、もうすぐ48歳になる。
もちろん、生まれた時から、電気もガスも、上下水道も完備だ。
家に車もあったし、16歳ですぐに原付免許も取って、スクーターを新車(親ローン)で買った。
こんなふうに、現代の社会生活を生まれてからずっと続けていると、昔の不便さを体験してみたくなる。
それは、現代社会の生活を決して「便利」だと思っていないからだ。
だが、年配者となると話が違ってくる。
もともと電気くらいはあったかもしれないけど、風呂は五右衛門風呂で、薪で焚いていたという人たちは多いし、暖房も、薪で火を起こしたり、いろりが暖房代わりだったり、それでも、冬は、隙間風が吹き抜ける凍えそうな家だったりする。
ガスも、普及していない時代だったのか、料理をするのもかまどを使っていたという人たちもいた。
そこから、ガスでの調理ができるようになり、高断熱住宅が普及し、隙間風どころか、小さな隙間さえないために、わざわざ吸気口を開けるなんてことをするほどになった。
風呂も、スイッチ一つでお湯が出てくるし、夏の暑さはエアコンで解消されている。
こうなると、人は「便利」さを感じる。
すると、もう、昔のようには戻れなくなる。
これは、農業にも言える。
農薬や化学肥料、農機具が普及したことで、農業は格段に楽になった。
これも「便利」を経験した人たちは、昔には戻れない。
そのため、いつまで経っても、農協から農機具、農薬、化学肥料を買い続ける。
だが、最初から、農薬まみれで、化学肥料産の野菜ばかりに取り囲まれた中で育ってきたら、それを便利だとは思わず、人類の敵くらいに認識して、自然栽培へと走らせるのである。
水道工事、もう何回やったろう?
今回で、もう、何回目の水道工事かわからない。
蛇口をひねれば、きれいな水が出てくるものだというのが当たり前の中で生きてきた。
だが、蛇口をひねれば菌だらけの水が出てきたり、泥だらけだったり、出なくなったり。
それが解決したかと思いきや、今度は、何度も水道パイプを切断してしまったり、引っこ抜いたり、取水口が詰まったり。
水というのは、人間が生きていく上で、肉体上最も重要なものだ。
幸いにも、日本の家庭には、上水道が通っていて、誰でも、必要な量の水を得ることができる。
さらに、日本中どこに行っても、川があり、水に困るなんてことはない。
それなのに、僕は、もう何度も、水に困り、そして、自分で水道工事をやってきた。
こうした出来事を、過去に苦い経験として生活の中で苦労していたとしたら、やりたいとは思わないだろうが、僕にとっては、こうした水道工事は、趣味の一環といってもいいほど。
やり慣れたし、自分でプランを考えて実行できるのは、とても面白い。
元々あるものを直すのか、新しく作るのか?
作業の難しさとしては、やはり、元々あるものを直す方が困難である。
なので、古民家再生や、DIYによるリノベーションなんかの方が、新築よりも、よっぽど大変だ。
最近、田舎の中古物件を買って、セルフリノベーションをするというような人が多いようだが、実際、材料費は浮くが、手間はものすごくかかる。
僕の場合、家は自分で建てるが、敷地の道の整備や、電気の通電、沢から取水して地下のタンクに溜め、そこら中に水道管を通すというようなことは、すでに行われていたのはよかったが、それらを修理するというのは、大変だった。
特に、どこに何が埋まっているとか、どういった仕組みになっているのか?ということが、まったくわからない状態だったため、その点は苦労した。
しかし、諸々含めて、すべて「いい経験」であることには違いない。