思い出の浅草、浅草寺

昨日から、アリアコーポレーション展という展示会を浅草でやっている。

僕は、生まれてこのかた展示会なるものをやったことはない。
フォトグラファーになっても、写真家ではなく、仕事としてお客さんと向き合っているだけであって、それらを自分の作品として他の人に見せようと思ったことはないからである。
今まで撮ってきた写真は、僕もフォトグラファーとして関わってはいるが、お客さん自身の作品であるという気持ちが強い。

というわけで、僕が主催したわけではなく、スタッフが企画して実践している展示会である。
場所は、浅草から北に数百メートルのアトリエコメットという貸しスペースで、10畳程度の小さな空間である。

僕も「木々の香り」と題し、杉、ヒノキ、松の丸太と、木桶に植えた三本の木の苗を展示するために愛媛から荷物を送ったのだが、指定した日時に届かず、どこかに行ってしまったので、受け取ることができずに展示を断念した。
残念ながら、僕がアトリエを出てしばらくしてから、荷物が届いたようだが、自分で展示しなければ主旨が伝わらないし、いい加減なものを僕自身が出展していると見られるのも嫌なので、荷物は受け取らずに戻してもらうことにした。

というわけで、アリアコーポレーション展と名前がついているが、僕自身は、何も展示はしていない。
実は、展示会用の木々を用意しながらも、山を都会に持っていって、都会の人たちに山を感じてもらう意味は、あまり無いと思っていた。
そうした想いが、結局は、現実となっただけだったのだ。

それはさておき、前日に準備のために浅草入りし、展示会初日も居るようにしたため、浅草に宿泊した。
展示会のオープンは、昼12時、午前中が暇だったため浅草寺へ向かった。

浅草寺は、実は僕のフォトグラファー人生において、重要な場所であることを思い出した。
地元静岡から、25歳の時に、東京に出てきて、板橋の会社に就職した。

フォトグラファーになるために、訳もわからず安物の一眼レフのセットを揃えたが、「そんなものは使い物にならない」と言われ、二束三文で手放した。
今であれば、ヤフオクやメルカリで、そこそこの額で売却できただろうが、当時はそうした個人間での売買をする手法がなかったため、中古販売業者に叩かれてしまったのである。

しかし、そうしたことにめげずに、借金をして、プロ用の一眼レフカメラを買った。
それが、EOS-1N RSである。
買うことができたのは、カメラのボディーだけで、レンズやストロボは会社から借りた。

そのカメラを持って試し撮りに出かけたのが、浅草なのである。
浅草に着くと、何やら祭りをやっていた。
有名な三社祭である。

神輿の周りの人だかりに混ざって撮影をしていると、祭りのスタッフが、一般人と報道陣を分けてきた。
いよいよ祭りが始まるため、一般人をロープの外に追いやっているのだ。

もちろん、僕は一般人で、撮影許可のパスも持っていないし、プレス(報道)であることを証明する何かもない。
それでも、外に出されてしまったら撮影は思うようにできないので、その場に居座っていた。

僕の手には、大きなプロ用の一眼レフカメラ。
そのカメラには、プロしか持てない、プロ用のストラップがついている。
そして、肩には、どでかいバック。

すると、祭りのスタッフは、僕の横を通り過ぎて行った。
僕を、プレスだと認識したようなのだ。

「やった!」

この、田舎者のど素人が、プロ用の機材を持っているというだけで、プロと認識されたのだ。
こんなことが、今から23年前にあった。
それを、この浅草寺に来て思い出していた。

そして、僕のフォトグラファーとしての人生を終える、一つの区切りも、この浅草になった。
自分の会社名で開催されている展示会に、僕は写真を一枚も出さなかったし、スタッフに、撮影業をやめることも宣言した。
写真撮影業としてのアリアコーポレーションは、10月で解散するのである。

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