山に来て3ヶ月、感じたことは「豊か」であること

東京にいて「豊かさ」ということについて考えると、それは、今まで手に入っていないものを、お金の力で買うことによって得るもの。という考え方でいた。

豊かとは、物質的に豊か、精神的に豊か、空間的に豊か、時間的に豊かというカテゴリーに分けられて、お金で買えるものが多くを占めているが、お金で買えないものは数少ないが、豊かさとしては重要な要素を占める。などという結論に達していたりした。

しかし、山に来て、こうした考え方が間違っているわけではないが、こういうことを論理的に考えたり、文章にしたり、枠にはめて決めたりするのは、豊かさを実感していない証拠になってしまうなぁ。と思う。

ここにいると、”ふっ”と、「あ〜、豊かだ」と思えることが、ちょこちょこある。

それは、お金で買うとか、買えないとか、全然関係がないことで、いつでも感じられるし、お金というのは、そこらへんになっている柿とか、落ちている栗とかと同じ感じで、アイテムの一つでしかないように感じるので、買うとか買えないとかいう発想がなくなってくる。

外でご飯を食べているとき、お風呂に入っているとき、他の人が協力してくれるとき、誰かが会いに来てくれるとき、何かをもらったとき、あったかい湯たんぽを抱えたとき、いろんなときに「豊かさ」を感じることができる。

それは、とても「幸せ」に通じている道だ。

人がなぜ生きているのか?

いつも考えるけど、答えはわからない。

でも、きっと、ずっと思ってきたことだけど、漠然と「幸せを感じる」ことが目的にあるように思える。

その幸せへの道の一つに、豊かさがある。

だから、人は、豊かさを求めるのだろう。

そして、その豊かさの多くは、お金がもたらしてくれると信じている。

僕も、そう思っていた。

けど、お金がもたらしてくれる豊かさの方が少なくて、そうではないことの方が多いんじゃないか?と、今は思っているのだ。

今日も、薪で炊いた五右衛門風呂に入りながら、「あ〜、なんて豊かなんだろう・・・」と、感じていたところだよ。


via Mark な 人生



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