四国八十八箇所 お遍路の旅 1日目

今日から、四国八十八箇所 お遍路の旅が始まりました。
来週の金曜日まで、9日間旅する予定です。

まずは、一番札所である霊山寺で、お遍路グッズを揃えようと思ったけど・・・
う~ん、カッコ悪い。
白装束とか菅笠とか買おうと思っていましたが、カッコ悪すぎてやめました。
ということで、各札所で朱印を押してもらうための納経帳だけ持って巡ることにしました。

今日は、一番から十一番までの11箇所を巡りました。
神仏は心の中にいるとか、いつもそばにいるなどと言いますが、
こうして寺を巡っていると、心がクリアになった気分で神仏がより近くに感じられるような気がしました。

一番札所の霊山寺では、少し緊張していましたが、
それでも、周りの景色、木々、空、太陽の光のすべてが輝いて見えました。
素晴らしい一日の始まりです。

お遍路の巡り方ですが、完全歩き・歩き+バス電車・車の3つの方法があります。
僕は、もちろん最も楽な車です。
「いい若者が、そんなんでは修行にならんだろ!」と怒られそうですが、歩きはホント大変そうです。
きっと歩きならではの得るものがあるのでしょうね。
もちろん、車でも得るものは大きいですよ。

お寺をめぐりながら、今日も数多くのことを学びました。
お寺の管理は、当然ですがお寺ごとにやっています。
そのため、順番にお寺を巡っていると、いい感じのお寺とそうでもないお寺があります。

そうでもない感じを受けたお寺では、入った時から何か変な感じがしました。
それは「写真を勝ってに撮るな」「鯉に餌をやるな」など、禁止事項の書いてある看板が沢山あったのです。
お寺は、半公共物だと思うのですが、どうも多くの人が出入りするのを嫌っている感じがありました。
そして、極め付けは、納経所と言って朱印を押してもらう場所があるのですが、
それが、本堂の中なんです。
もちろん、それはいいのですが本堂でお参りしている最中も、
納経所にいる二人の人が、ベチャベチャとしゃべっているのです。
お参りしていても御構い無しでした。

ここで、僕は何を思ったかというと、
「木を見て森を見ず」ではなく「木を見て根に気づく」という言葉が頭に浮かびました。
木を見て森を見ずは、一部を見るだけで全体を見ていないことを言いますが、
僕は、今のお寺の状態を見て「この寺はダメだ」と判断するべきではない。そう思ったのです。
寺というのは、何百年もの歴史があります。
今は、たまたま管理している人がちょっといけてないだけなんです。
長い歴史の中では、そういう時も当然あります。

人、一人一人も同じです。
よくない時期は誰にでもあります。
それを見て、その人の全人格、人生そのもの、その人のすべてを判断するのは間違っています。
だから、すべての人は「最高」と捉えるべきであると。
そう感じたのです。
そう、木の成長は遅くとも、根は確実に大地に張っているのだと信じる心が大切だと思うのです。






今日一日で、これだけではなく多くのことを学びました。
明日からも、楽しんでお遍路の旅に行ってきます。

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