【神との対話 1巻・2巻・3巻】
中学2年生の時に出会った「聖書」以来の、僕のバイブルとなった本が、この「神との対話」だ。
いいこと書いた本はたくさんあるけれど、書いている人たちが、みんな素晴らしすぎて、内容が素晴らしくなりすぎているせいか、凡人の僕には、わかるけど応用できないと言うものがたくさん存在する。
そんなたくさんある「いいこと書いた本」俗に「スピリチュアル本」とか「自己啓発本」と言うらしいけど、そんな中でこの本は、とってもわかりやすい上に、人生の仕組みを細かく解説しているし、なんといっても、著者のニール・ドナルドウォルシュ氏がいい。
何がいいかって、恐れずに素直に言うけど
「ニールのアホさがいい」
特に、第1巻では、ニールが、先進国に住む人間としては、ほぼ最下層に位置するような生活状況であることがいい。
離婚を繰り返していて、失業して、ホームレスまで経験し、今にも家賃が払えずに家を追い出されそうと言う状況。
人生には、不満だらけで、最後の最後に、神様に不満をぶちまける。
そこから、この神との対話が生まれる。(設定かもしれないけど)
それでも、なんでも、ニールが、神様に、実に低レベルと言えるような質問を繰り返す。
そして、神様が、その質問ひとつひとつに丁寧にわかりやすく、詳細に解説・説明していく。
ニールの質問を低レベルと書いたが、実際には、多くの人たちが
「本当に聞きたいこと」
を、ニールはしつこく、何度も聞いている。
多くの人は、他人から「アホだと思われたくない」と思っているだろう。
僕だって、口には出さないけど、そう思っているし、実際には、「俺って、アホかも・・・」と思おうことは、生きている上でたくさんある。
だから、ニールの質問をアホ呼ばわりしてしまうけど、本当は、
「俺も、それ知りたかったよー」
と言うことが、多々ある。
一般的な、自己啓発本とかスピリチュアル系の本には書かれていない、
「そんなこと聞けない!」と思っていることを、繰り返し聞いているから、ほとんどの人が納得できる内容だと思う。
ただし、1回読んだだけでは、本当には理解できない。
もし、1回読んで理解できるくらいなら、そんな人は、きっと、読まなくても理解できているんだと思う。
でも、もしも、人生で、本当に悩んでいる人は、1回じゃ理解不能。
わかった気になるのは、一部分を理解したり、わかっていたところを読んで、全部を理解したように勘違いしてしまっているはずだから、僕の希望としては、
「最低3回読む」
ことをお勧めする。
この3冊で、多分、素晴らしい人生を生きる上で必要なことの全てを知ることができるんじゃないかなぁ。
P.S
2019年3月現在、すでに文庫の新品をAmazonで販売していない状況になってしまった。とても、残念である。
ここに書かれていることは、世の中にはちっとも浸透していないのに、聖書とは違ってゆっくりと消えていく運命にあるのだろうか?
聖書だって2000年経っても、まだ人々は、それについて学んでいることを思うと、まだまだ、何千年も何万年も先のことなのかもしれないが。
しかし、きっと、世の中には、もっと素晴らしい本があるし、これからも出てくるだろう。
Amazonで購入できます | ||
神との対話(1) | 神との対話(2) | 神との対話(3) |
ここから購入いただくと、僕にお小遣いが入ります。m(__)m
【聖書】
無敵の王道である聖書です。
知っている人には何も解説が不要ですが、日本人のほとんどは、読んだことがないのではないでしょうか?
キリスト教系の学校へ通っていたとしても、「一応、読んだことがある」くらいの人がほとんでしょう。
そんな聖書に、僕が出会ったのは、中学2年生の夏。
その頃僕には悩みがありました。その悩みとは・・・
愛ってなんだろう?
中学2年生で考えるには、少々、早いテーマと思われるかもしれませんが、中学生といえば、身体にも心にもいろんな変化がある時期です。
世間一般では、身体の成長ばかりに目が向きますが、心だって変化しているわけです。
小学校6年生の時の「初恋」
あの時は、なんだかわからなかった「好き」と言う感情。
中学生になって「愛」と言う言葉を知り、
好きと愛の違い
について考え始める。
好きは、一方的な思いなのに対して、愛とは?
と、丸坊主頭で、男臭い中学2年の僕は、蒸し暑い3畳の自室で考えにふけっていた。
そんな時、玄関先に誰かがきた。
出てみると、ニコニコしたおじさん(といっても25歳)が立っていて、開口一番
「教会に行きませんか?」
と言う。
夏休みで暇だった僕は、そんな突飛もない提案に、即答した。
「いいですよ」
そうして、次の日曜日に教会に出かけた。
その間も、僕の頭の中は「愛ってなんだろう?」と言う疑問が埋め尽くしていた。
日曜日の礼拝、牧師先生が出てきて、説教が始まる。
今日のみことばは、コリント第1の手紙13章4節から・・・
隣に座るおじさん(なんども言うが、25歳)が、その場所を開いて、僕に渡してくれた。
そこを見ると。
愛とは・・・
と書かれていた。
頭の中でもやもやとしていた疑問「愛ってなんだろう?」の答えが、目の前に書かれている。
こんな偶然は、あるのだろうか?と、そんな疑問すら持たなかったが、今思えば、神の仕業とも思えるような偶然だ。
そこには「愛とは寛容であり、愛とは親切です。また人を妬みません、愛とは自慢せず高慢になりません・・・」
とある。
僕は思った。
愛って、いろいろでいいんだ
僕は、「愛とは○○」と言う、一つで完結するものだと思っていたけど、寛容だとか親切だとか、いろいろあっていいんだってことが驚きだった。
と、同時に、そんなことが書かれている「聖書」と言う書物に、感心したのと同時に、強烈に興味を惹かれた。
そんなわけで、翌週に、早速洗礼を受けて、えせクリスチャンになり、教会に通い、聖書(といっても新約聖書だけだけど)を、読みまくった。
当然、1回読んだだけでは理解できずに、何度もなんども読んだ。
自分の短いながらも、いろんなことがあった人生に照らし合わせ、牧師先生や宣教師さんたちに教えてもらいながら、聖書を理解していったのだ。
宗教という枠にはまっている教会へは、1年ほどで行かなくなったが、その後も、聖書は読み続け、文字通り、僕にとっての人生のバイブルとなった。