今年もお月見会

水曜日は、満月だった。
本来であれば、9月の満月の日が十五夜らしいが、今年は、10月の満月の日にお月見会をやった。
お月見会は、誰でも来てもらえるけど、あえて告知はしていない。

お月見会の主催は、いつもの山友たちで「ブログでお月見会告知しないんですかぁ」と言われていたが、人が多くなればなるほど、大変すぎて楽しめなくなるから、少ない人数で何度も重ねながら、徐々に来てくれる人が多くなった方がいいのだ。
そうすれば、いつも来てくれるような人たちは、助っ人に回ってくれる人が出てくるから、徐々に増えていっても負担が増加しないのである。

たぶん来年もやっているだろうから、お越しになりたい方は、9月か10月の満月の夕方に来てもらえたらと思う。
きっと告知はしないだろうから。

さて、昨年は、日が暮れてから岩場まで登り、そこから月を眺めたが、今年は、登るのをやめたようだ。
その代わり、大きく開いた平地で、キャンプファイヤーをやった。

火を囲み、バイオリンとサックスを聞く。
人は、火を見ていると心が落ち着くと言う。
どうしてだろうか?と考えた。

瞑想をして、自分の内側に入っていくと、青い炎のようなものに出会うことがあるらしい。
その青い炎こそが、自分の魂なのだそうだ。
青い炎というのは、実際には単なるイメージでしかなく、本来は、エネルギー体なので、色も形もないのだろうけど、それを、可視化すると青い炎となるようだ。

そう思うと、炎というものは、魂などの根源的なエネルギー体の可視化された形であると言える。
炎を見て落ち着くというのは、自分自身の根元、魂や、その大元であるいわゆる「神」を見ることと同等のことなのかもしれない。
『この世』と言われる、外の世界にいながらも、炎を眺めている間は、内側の世界に入ることができているのかもしれないと思う。

満月になると、真夜中でも電灯など必要のないくらい明るい。
逆に、電灯で照らすと、その明るさによって瞳孔が縮み、灯の照らされている部分はよく見えるが、照らされていない周辺は、何も見えない。
なので、月明かりが出ている時は、電灯を点けない方が、実際、よく見えるのである。

逆に、新月になると、真っ暗闇になり何も見えなくなる。
イノシシやハクビシンなど、夜に活動するが、実際のところ、暗闇の中で目が見えているわけではないらしい。

それがわかったのが、ヤギが夜中に脱走してしまった時。
夜中の3時に、小屋の横でガタガタと音がするので目を覚まして見てみたら、ヤギが脱走して、置いてあった野菜を食べ散らかしていた。
僕が、出ていくと「ヤベッ!」と思ったのか、一目散に逃げ始めた。

すぐにヘッドライトを持って追いかけた時、ヘッドライトを前方に照らすと、ヤギの走る速度が速く、前方の道からライトがそれるとヤギの速度が遅くなるのを発見したのだ。
ってことは、やっぱり見えてはいないのだ。
その後、ヤギは暗くて見えないので堪忍したのか逃げるのをやめて、無事に捕獲できた。

同じように、野生動物も、暗闇の中で見えているわけではなく、ほんの少しの月明かりで移動しているのだろうと思ったのだ。
そう思ってから、イノシシの出現する日の月の出方を気にしていると、やはり、新月のように月明かりがない時や、雲が厚くかかっている時、雨の日などは、出てこないことがわかった。

『火』と『月』というものは、地球人にとって、特別な存在なのだろうと、実感した。
もちろん、太陽とか地球とか、水とか、木々とか、どんなものも特別な存在なのだろうが、暗闇の中で、光り輝くものは、やはり、火と月である。

それは、人の根源である魂や神に通じるからこそ、『神秘的』とのだろうな。

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