3トンの巨石、道を転がり落ちる

あわや、今住んでいる家にぶつかれば破壊されるのは確実だったし、その下には、車が。
3トンの巨石を転がっていくのを止めることは、もはや、当然ながら僕の力では無理。
これこそ、まさに、

運を天に任せる

ということだろう思った。

作業場とガレージ の裏手の崖を削り、平地の範囲を広くしているのだが、掘っていくたびに石がゴロゴロと出現する。
石は、あとで何かに使用するためにまとめて置いているのだが、いかんせん邪魔である。
そのため、建物の脇や道路側に置いていたのだが、その、道路側に置いていた巨石に、ユンボのバケットが、、、

チョン

と、当たってしまった。
すると、道路の脇に、土が盛られ少し高い位置にあった3トンもの巨石が、、、

ゴロン

と、ゆっくりと動き、、、

ドスン!

と、道に落ちた。
「あっ、マズイかな?」と不安になり見守っていると、ゆっくりと坂を降り始めた。

ドスン!ゴロン、ドスン!ゴロン、ドスン!ゴロン、、、

「こりゃ、ヤバイ!!」
僕は、ユンボのエンジンを切り飛び降りて巨石を追いかけた。
追いかけたからと言っても、止められるはずはない。

石の前にいけば、3トンもの重さに、66kgの僕の体重で敵うはずもなく、ペシャンコにされるのが落ちである。
石の転がり落ちていく道の先には、今住んでいる家がある。
家に激突すれば、住める状態ではなくなる。
それが最悪の事態だ。

運が良くても、夏に出来たばかりの、土窯に追突するか、外に作ったキッチンをなぎ倒していくか。
はたまた、家の方は回避出来たとして、その下は駐車場である。
その時に駐車場にあったのは、軽バンのJくんだ。

家と違って、車は移動できる。
そのため、僕は走った。
家は、動かせない。
そうなったら、運を天に任せて祈るしかないが、車は今からでも移動できる。

幸いにも、巨石は丸い形をしていない。
カクカクとしているため、ゆっくりとした転がり方で、あっちにゴロン、こっちにゴロンとやっている。
そのため、僕が走って、転がり落ちていく巨石を追い越すことが可能だった。

下まで行くと、軽バンのJくんは、転がって行く先ではなく、端の方に駐車していたので、一目、大丈夫だと判断できた。
あとは、巨石がどこへ向かうか見守るだけとなった。

坂道を素直に落ちていったとしたら、家の方へ向かって落ちる。
しかし、右へ行ったり、左へ行ったりしていて、行先の予想がまったく立たない。
まあ、それがわかったところで、何の意味もないのだが。

話は、少し飛ぶが、この夏、オリンピック・パラリンピックが開催された。
オリンピックの問題の一つとして、ドーピングがある。
身体が資本のアスリートが、一時的な肉体的パワーを得るために、永続的な健康を犠牲にして、肉体に強力な化学物質を投与する。
全ての選手がドーピングをしていないことが前提になっているが、正直なところは一体どうなのだろう?

薬で、パワーアップできると、全世界の人々が知っている状況で、まったく使わない選手が、一体どれだけいるというのか?
実際には、ドーピング検査で引っかからないためにはどうするか?ということを課題にしている選手たちの方が圧倒的に多いのではないだろうか?

市販薬や、エネジードリンク、化学合成ビタミンのサプリメントなどの中にも、ドーピング検査に引っかかってしまうものがあるという。
そんなことでは、選手よりも、一般人の方がドーピングしていることになる。
そうなると、ドーピングの線引きなど、もはや出来ないし、意味のないことかもしれないと、僕は、常々思っている。

さらに、パラリンピックにおいて、幅跳びなどでの踏み切りの脚に、どう見ても、人間の足の筋肉と柔軟性を超えた、いわゆる

「バネ」

が付いている。
あれって、結局、バネの性能によって結果が大きく左右されるんじゃないのか?と、思う。
幅跳びやるなら、肉体としての脚の方で踏み切らなきゃ、人間の肉体を使った競技として成り立たないだろ!?と誰も思わないのだろうか?

そんな思いから、もう、肉体で競い合うのはやめたらどうなんだろうか?と思う。
今の時代、人間どうしの肉体的な差など、どんぐりの背比べでしかないのではないんじゃないかと思う。

山に来て、日頃、機械を使うようになってから、そのことを強く感じる。
ユンボなど、22ンであっても、肉体的パワーを圧倒的に超える。
どれだけ巨大な人間でも、どれだけ強靭な肉体を持った人間でも、2トンのユンボにさえも叶わない。
それが7トンになれば、ネコとゾウくらい違う。

車だってそうである。
どんなに早いアスリートでも、軽自動車にさえ敵わないのである。
世界一速い人でも、時速で言えば40km/hしか出ない。
原付でも勝てる。

なのになぜ、いつまでも、競い合っているのか、僕には正直わからない。
もちろん、好きでやっている分には誰に文句を言われる筋合いなどないし、それはそれで良いだろうが、肉体を破壊してしまうほどの過剰すぎるトレーニングと、強力な薬物によって、さらに、パワーやスピードを増幅させる。
隣のドングリよりも1mm高くなろうとする行為は、すでに競技として無理があるのではないだろうか?

そのうち、肉体の内部にコンピューターや、超小型モーターなどを仕込む技術が開発されるのではないかと思っている。
それは、選手だけなく、一般の人々の間にも広がり、今のようにスマホを持たなくても、ネットにアクセスできるようになり、眼球に組み込まれたディスプレイで見ることができるし、同時にカメラも組み込まれていて写真や映像を撮影することも可能になるだろう。

そうなれば、現在まで行われてきた、単に記憶することだけの勉強も試験も何の意味もなさなくなる。
現在でも、試験の際は、スマホの持ち込み禁止などと言っているが、すでに、記憶するという勉強も試験も、意味をなしていないのは明白である。
今でも、記憶が意味をなすのは、コンピューターを操作するよりも速い判断を求められるものに限る。

例えば、運転免許を取得するのに、標識を記憶しておくのは、今でも重要なことだし、緊急回避の手段を記憶しておくこも大事だ。
そんな時にいちいちコンピューターで検索は出来ない。

しかし、もう少し先になれば、考えたことを一瞬で検索できるようになる。
そうなれば、記憶はあまり意味はなく、もっと、人生で大切なことを学ぶ時間を増やすことができる時代が来ると、僕は思っている。
記憶することばかり強要される子供たちが、不便でならないと、昔から、ずっと思っているのだ。

こんな話はこの辺にして、なぜ、こんなことを巨石が転がり落ちている最中に話したのかというと、

人間の肉体など、所詮、小さな力しか持たない

ということを、実感する出来事の一つだと思ったからである。

転がる3トンもの巨石を止めることは、どんなに巨漢でも出来ない。
どんなに重い体重の人でも、ほんの200kgしかない。
その15倍の重さの石が転がっているのだ。

ぱっと見は、横1.5m、縦1m、高さ1m程度の大きさしかない。
人間で言えば3人分程度の体積だ。
しかし、石の中身は鋼鉄にも近い素材で、かたや、人の肉体は単なる「水」である。
勝てるはずもない。

その巨石は、何度も、何度も、アスファルトや崖に激突しながら、坂道を下っていく。
いよいよ、家に近づいてきた。
が、家の方に転がらず、逆の崖に激突して下に降って行った。

家の破壊は回避出来た、よかった。

あとは、どこで止まるか、それとも、崖を落ちていくか、どちらにしても、何かを破壊するのは明白だが、僕にとって支障のないもの、少ないものにして欲しいと願いながら見守った。
家の場所を過ぎた巨石は、駐車場の方ではなく逆側に落ちて行った、畑のある方である。
そのまま、畑に突進するかと思った瞬間、畑の手前で止まった。
畑の横は道路だが、道路と畑の間にピタッと停止した。

何という幸運だろう。
アスファルトが砕けた程度で、あとは、破壊されたものはなかった。
畑も潰れずに、なぜか手前で止まった。
道も塞がずに、なぜかきれいに避けて止まった。

これを、単純に神の御技というつもりはないが、それでも、神を感じないわけにはいかない。
この出来事は、巨石が転がり落ちたという現実よりも、もっと、重要なことを感じるために起こった出来事だと思える。
それが、前述した、人間の肉体の力の小ささであるが、それよりも大事なことは、人の知恵の偉大さである。

人の知恵が、道具を作り、それらの道具は、効果的な理論によって構築され、効率的に使えるように現代に至るまで改良されてきた。
さらに、機械は、人間の肉体の能力を遥かに凌駕し、コンピューターは、頭脳の記憶力・処理能力を大きく超えている。
こうした知恵によって、様々なものが生み出され、貧弱な肉体を持つ人間を、動物の中で、最も強く、最も早い種へと押し上げたのだ。

あらためて、機械というものの凄さを感じ、人間の知恵の素晴らしさに気がついた。
そして、神を感じないわけにはいかなかった出来事だった。

-GOD:神さま, MACHINE:機械, MARK'S BRAIN:思考, MARK'S LIFE:日常, PROBREM:問題, ユンボ(クボちゃん)

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