自殺というと、ニュースで取り上げられるのは、若者だけど、実際には、40代、50代の男性が圧倒的に多いって知ってた?
僕も、40代になって思うよ。今が、一番悩み多き年頃だってこと。
若いうちは、確かに悩みは多い。でも、それは、人生を経験していないことによる不安とか、やり方がわからない、生き方がわからないという未知の世界への不安であり、その不安からくる悩みだ。
実際、人生を生きてきてみると、そんな悩みなど、なんということもなく過ぎ去っていることに気がつく。
なんで悩んでいたのかも忘れてしまうほどに、しょうもないことにウジウジと悩んでいるのが、若いときだ。
それに比べて、40代、50代のおっさんの悩みは深刻だ。
何に悩んでいるかは、人それぞれだとは思うけど、僕自身の経験と、想像からすると、人生の方向性に悩む。
今まで、40年も、50年も生きてきて、「本当に、人生今のままでいいんだろうか?」と悩む。
そこには、家族の問題や金銭の問題、仕事のキャリアの問題、会社内の問題、夫婦仲の問題、親の介護などの問題など、自分を取り巻く環境に対する対応に悩むことも多いが、結局、行き着く先は、「自分の存在意義」ではないかと思う。
自分は生きている意味があるのだろうか?と。
中小企業経営者で、業績悪化によって、金策に行き詰まり、その果てに倒産・破産・自殺の3点セットになってしまう人たちも多い。
ついでに、離婚と一家離散の5点セットもある。
しかし、彼らは、本当に、お金の問題で死んでしまっているとは思えない。
お金の問題は、結果として、前面に出ているが、その奥には、経営者自身が自分や会社の存在意義を見出せなくなってしまったことが、最後の「自殺」という選択をさせているように思う。
業績悪化や倒産、破産など、会社がうまくいかなくことは、よくあることだ。
経営の失敗、取引先の減少、不測の事態、放漫経営による倒産など、いくらでもあるが、そこから、自殺を選択する人と、選択しない人の差は、何か?
1つは、「自殺を選択するという勇気」があると思う。
自殺を選択することは、勇気がいる。自殺をしようかと考える人は多いが、実際に実行する人は少ない。少なからず、自殺をすることも勇気がいるからだ。自殺しなかった人は、自殺をするという勇気がなかった人とも言える。
もう1つは、「まだ先がある」と考えるか、「もう先はない」と考えるかだろう。
人間というのは、「メシを食べていければいいや」と考えるだけの人は少ないと思う。
上記での「自殺する勇気」がなかっただけの人は、「ただ生きるだけ」を選択するかもしれない。しかし、そうでない人は、自分の人生には先があると思っているからこそ、生きるのではないかと思う。
そして、そこには、「誰か(何か)の役に立つ」という思いがあるように思える。
「まだまだ自分はやれる」という言葉の中に「まだまだ自分は、“誰か(何か)のために”やれる」という思いがあるのではないだろうか?
40代、50代になったとき、「人から必要とされる自分」というのが見えなくなってくることがある。そして「誰からも必要とされていない自分」と思えてきてしまう。
それは、「これからも、必要とされることのない自分」を想像してしまう。
そうなっていったとき、自殺という選択肢が頭をよぎってしまう。
40代、50代というのは、自分もなってみてわかったが、実は、大きな人生の分岐点になっているらしく、多くの人たちがこの年代の時に悩む。
それは、今まで生きてきたやり方に、少し陰りが見え始めてくるのだ。
今まで、うまくいっていたことが、なぜか、少しずつうまくいかなくなってくる。
綺麗に回っていると思っていた人生の歯車が、少しずつ狂い始めてくるのがわかる。
そして、今までのやり方にしがみついていると、いつか、歯車は回らなくなってしまう。
とはいえ、人生という道が寸断されたわけではない。また、回せばいいのだが、しがみつく人は、同じやり方で回そうと必死になる。しかし、同じやり方では回らないのだ。
そして、そんな人は、人生に行き詰まってしまう。
かたや、執着を手放した人たちは、人生を少しずつ修正しようとする。
柔軟に、状況に対応していく。固執しない人生を歩んでいく。そうすれば、人生の歯車は、また綺麗に回り始める。
ちょうど、40代、50代で訪れる試練とでも言おうか、そんなものがあるのだ。
先ほど、ちょうど同年代の友人から電話がかかってきた。
そこで、彼女が「もう、人生、後の方が短くなった」というので、僕は、「僕は人生200年計画なので、普通の人たちと比べると、22歳ってところだな」と答えた。
彼女も、人生の分岐点にやってきたと話をしていた。
話の結論は「ビビらず進もう。なんとかなるよね」で締めくくった。
社会に出て、20〜25年程度経ち、社会人として、まあまあうまくやってきているつもりだったし、実際にうまくやってきたという自負がある。
しかし、今までと同じやり方ではダメだということに気がつく。
でも、何をどうしたらいいのかわからない。若い頃のように、ガムシャラにチャレンジする気力も体力もなく、知恵と知識はあるが、どうにも今までの経験に囚われて、新しい考えが浮かばない。
それでもなんでも、悩んで、考えて、探して、見つけるしかないのだ。
それが、40代、50代からの、人生の楽しみ方の一つなのだから。
僕も、今、人生を悩んでいる。
でも、この雲の先には、今まで見たことのない世界が広がっているという希望を持っている。
ワクワクして、この後の人生に突入したい。
40代、50代で、悩んでいる人たちに言いたい。
若い頃とは違う、とても困難な問題を突破する時、新しい世界が待っていると思います。
まだ見ぬ未来へ突入していきましょう。
「そうする」
と、決めれば、きっと、そうなる。
まあ、急がず、焦らず、ダラダラいきましょうや。
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