緊急事態宣言下でも、フィーバーの過ぎ去った東京

変異種によって、コロナ感染者拡大と重症化しているという。
若い人でも死亡する人が増えているらしい。

しかし、そんなこと、誰が気にしているのか?
と、思えるのが、実際の世の中である。

フィーバーしているのは、政府と行政という吹き世離れした人々だけのように感じてならない。
もちろん、感染して、発症し、重症化したり、死亡するという事態に直面した人や家族などは、現実に恐ろしいことなのかもしれないが、ただ、交通事故だったり、三大疾病だったり、インフルエンザのような感染症だったり、そうしたことに遭遇するのとなんら変わりはないのではないか?と思うのだが、、、

と、こうした中、僕は、四ヶ月ぶりに関東へ飛んだ。
フライトの予約をしたのは、まだ、愛媛や砥部町が騒ぐ前で、東京も三度目の緊急事態宣言を出すなどということは噂にもなっていなかった頃なので、もう、キャンセルとか延期とかはいちいちするのをやめて行く事にしたのだ。

↑<三台しかいなけど三階なので>

松山空港に着くと、駐車場はガラガラだった。
飛行機に乗る人が少ないのかと思ったが、駐車場のガラガラ具合に比べ、空港の中は人が結構いたし、僕の乗った便は、そこそこ混んでいた。
僕の見立てによれば、今回、JAL便は、減便されていて午前がなかったので、各航空会社の便が、ちょうど昼頃に固まっていたものと思われる。

行政がフィーバーしていても、そんなことは、あまり関係がないと考えている人たちは、結構いるんだと実感する。
現実に、去年と比べれば、コロナのことは大体わかってきていて、「まあ、インフルエンザの強いバージョン的な感じでしょ」というあたりなので、極端に考えてはいない人が多いんだろう。

そうした実感は、羽田に着いても同じだった。
普通に、人はそこそこいたし、電車内でも同様だった。

↑<混んでいるとは言っても、それでも空いている方だと思われる>

僕は、まず、国立新美術館へ向かった。
佐藤可士和展を見るためだ。
こうしたご時世なので、空いていることを期待していたが、その期待は裏切られ、きっちりと長蛇の列だった。
それでも、通常の状態だったら、もっと長い列だっただろうか?

四ヶ月ぶりに奥さんにも会い、久々に、群馬の草津温瀬へ行った。
こちらも、空いているのを期待していたが、まったくだった。
ただ、客層が、予想とは違っていた。
若い人たちが多いのだ。

今までであれば、老人、老人、また老人だったのが、ぐるっと見渡しても、老人の姿は・・・完全に無い!
老人が見当たらなかった。

僕は思う。
これが、健全な世の中の姿である!と。

老人だらけの日本は、ハッキリ言って気持ちが悪い。
もちろん、老人が居てもいいのだが、老人だらけというのが、やっぱり、人口分布的におかしいのは当然だということは、誰の目にも明らかだ。

いつもなら、温泉宿は、老人に占拠され、たまの休みを温泉で過ごそうと若者が予約を入れても、その前に、暇な老人達が予約を埋め尽くしてしまっていただろうが、世界中の老人達は、家の中に引きこもって、テレビショッピングで、コロナに効きそうな健康食品を買いまくり、訳のわからないものを食べたり、塗ったり、風呂に入れたりしながら過ごしていることだろう。
いつまでも、そうしていてくれることを僕は願っている。
もちろん、これは、それなりに都会に住んでいる老人達の話で、田舎の老人達は、去年も今年も変わらずに、畑や山に出ているので、相変わらず元気であることは言うまでもない。

愛媛に来てから、道後温泉と大分の別府温泉、由布院などへ行ったが、やっぱり、結局、草津が最高である。
これは、仕方がない。
泉質がまったく違うのだから。
草津に比べれば、他のほとんどの温泉は、単なる地下水である。
温泉ならぬ、温水でしかない。
冷泉などと言っている温泉もあるが、それは、まさに地下水。
それを温泉と言っていいのであれば、僕は、家で毎日温泉に入っていると言っても過言ではない。

もう一つ、若い人だらけで良かったことは、無料の足湯に、シワだらけの足がつかっているのではなく、ピチピチの足ばかりが並んでいることもそうだが、「若者はうるさい」というイメージとは程遠い、若者達のマナーの良さである。
壁の薄い民宿に宿泊したのだが、いつもなら、こうした民宿に泊まった隣の部屋には、年配の老夫婦がいるのが定番だった。
しかし、今回は、若い夫婦。

年配の場合、夜、テレビのボリュームが大きく、話し声も大きい。
耳が遠いので、必然的に音が大きくなってしまうのである。
しかし、若者の場合は、テレビの音も話し声も一切聞こえない。
たまに、笑い声などがほんのりと聞こえた程度であった。

若いって、ス・テ・キ

そんなわけで、ほんの一泊であるが、久々の草津を楽しんで来た。
草津の帰り道、小さくマルシェのようなことをやっている場所があったので、寄ってみた。

小さなテントを張って、六軒ほどの店が営業していた。
駐車場には、15台ほどの車が止まり、ほぼ満車だった。

焼き鳥、ジャム、コーヒー、カレー、パン、お花、奥の店には、なんとか織のモンペや雑貨が売られていた。
時折、挨拶が交わされているので、知り合い同士の人たちも多いということがわかる。
見てみると、自然食や天然酵母のパンなどが売られていた。

僕は、保存料や添加物がダメなので、こうしたこだわりの食はありがたい。
東京へ行ったり、旅に出たりすると困るのは食事である。
どうしても、保存料や添加物、農薬や化学肥料を使った慣行農法で作られた野菜、そして、肉や魚が必ず付いてくる。
さらに、揚げ物は、質の低い古い油で揚げられていて腹を壊す。

今回も、相当、肉を食べた。
そのせいで、僕の腹の中は、現在、格闘中である。

小さなマルシェでは、自然栽培米のご飯、大豆ミートなどの、いかにも良さそうな食材を使っているカレーが売っていたので、昼食はここで食べる事にした。
温泉とはまた違った、気持ちの良い時間を過ごした。

草津に到着する前に、日本一と言われる道の駅『川場田園プラザ』にも寄ったのだが、道の駅の割には、食べ物はまともで、こだわりがあった。
道の駅の食べ物など、高速のサービスエリアやショッピングセンターのフードコートなども同じように、うまいものなど一つもない!と思っていた。
現に、今の今まで、うまかったものというのは、海老名サービスエリアのソフトクリームくらいしか思い出せない。

どうして、世の中、こんなにまずく、いい加減なものが溢れているのか?と思うが、まあ、一言では片付けられない、いろんな事情があるのはわかる。
しかし、結局は、作る側ではなく、買う側、食べる側が変わっていかなければ、現実は何も変わらないということなのだ。
妥協して買っていたり、食べていたりすれば、その現状はいつまでも続く。
逆に、買わなければ淘汰されていくのも、当然のことなのだ。

最近、【複合汚染】という本を読んでいる。
出版されたのは、昭和54年。
僕が生まれて間もなくなので、もう、45年も前の本である。
ここに出てくる汚染というのは、公害はもちろん、食品添加物、保存料(防腐剤)、農薬や化学肥料による栽培、海洋汚染まみれの魚、牛・豚・鶏など家畜に施される訳のわからない薬たちなどの問題であるが、多少の変化はあるとはいえ、半世紀たった今でも、現状は、なんら変わっていないと言ってもいい。

変わらないのは、生産者や販売元も同じだが、結局、消費者も同じだということ。
そんな中、ほんの一部では、自然食を選ぶ人たちも多くなっている。
今の年寄り達の多くは、農薬や化学肥料を使うことが当たり前になっていて、古い人たちの方が自然のことをよく知っているという考えは、現在では、真逆になっている。

若い人たちが自然のことをよく知り、今の70代、80代は、高度経済成長真っ只中で、化学物質まみれの中、育ってきているので、なんの抵抗もなく農薬や化学肥料、除草剤などを使う。
大昔から何十年も使ってきているため、その成分や毒性について考えたりすることは、まったくない。
あったとしても、もう、何十年も習慣で行っていることを変えることも、止めることもできなくなっている。

そんなわけで、老人達が引きこもっていて、観光地には若者が多く目立ったし、東京も、人が少なくというか、適切な人数という感じで、過ごしやすかった。
逆に、愛媛に帰ってきたら、ちょうど、帰宅ラッシュのピーク時間、17:00〜17:30だったので、幹線道路は渋滞。
この、17時に退社するという田舎の風習は、なんとかして欲しいものである。
みんな一緒とか、みんな一斉にとか、ホント、大好きなのかと思ってしまう。

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