愛とは・・・

愛は寛容であり、愛とは親切です。
また人をねたみません。
愛とは自慢せず、高慢になりません
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに心理を喜びます。
すべてをがまんし、
すべてを信じ、
すべてを期待し、
すべてを耐え忍びます。

コリント第一の手紙 13章4節から

この言葉に出会ったのは
僕が中学2年生の時。

中学2年の夏「愛とは何だろう?」と疑問に思い
夏休み中、ずっと考えていた。
そこへ、誰かが訪ねてきた。
「ブッブー」(家のチャイム、ピンポンではない)

「こんにちは、教会に来ませんか?」
そこに立っていた男は、ニコニコした表情でそう言った。
教会ねぇ。
まあ、暇だからいいか。
「いいですよ」
僕は二つ返事で答えた。

そして日曜日、彼の車に乗り
人生初の教会という場所へ。
そこは、イメージしていたのとは違って、
古い喫茶店に十字架をくっつけただけの教会というか、なんというか・・・
と言う場所だった。

礼拝が始まり、賛美歌が歌われ、そして牧師の説教が始まった。
「本日の御言葉は、コリント第一の手紙13章4節から・・・」
隣の彼が聖書を開いて渡してくれた。
そして、そこに書かれていたのが冒頭に書いた「愛とは・・・」だった。

愛とはなんだろう?
と考え続けていたことの答えが目の前にあった。
「そうか、愛とはコレ!という一つではないんだ」
考えてみれば当然のことなのだが、
その時に気がついたことは、僕の中で衝撃だった。
と、同時に聖書という書物のすごさを感じた。

それから11年後、僕は毎週土日に結婚式で、
「愛とは・・・」を聞くことになった。
なんとも不思議な出来事だ。

そして、26年経った今、コリント第一の手紙13章の4節に書かれた
「愛とは・・・」に、今度は疑問を持ち始めた。
それは、愛とはそれだけだろうか?ということ。
そして、僕は、「すべてが愛」という結論に達しようとしている。

少し前まで、この世の中は「すべて愛」ということは、
なんとなく頭では分かっていた。
しかし自分の中で「例外」というものを作っていた。

例えば、
殴る者は例外で愛ではない
犯す者は例外で愛ではない
殺す者は例外で愛ではない
罵倒する者は例外で愛ではない
見下す者は例外で愛ではない
奪う者は例外で愛ではない
・・・など

しかし、僕が尊敬する人の一人
「佐藤康行」氏の言葉で、
「すべてが愛なんです。愛しかないんです」
というフレーズがある。
僕は、この「愛しかない」という言葉を聞いて、
“例外はない”ということを言われた気がした。

しかし、本当にそれが例外ではなく愛であることは
なかなか認めることが出来なかった。

そして僕は、考えた。
どうして、例外に値するような事柄までも愛なのか?
こじつけることは出来ても、本当に腑に落ちるところまで行かなかった。
それでも、尚、こじつけでも「すべてが愛、愛しかない、例外など無い」と考えるようにした。

あれから約2年が経った。
まだまだ分かってはいないが、
少しずつ、少しずつ分かりかけているような気がする。
すべてのことが愛であると言うことが。

つづく

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