スミソニアン・アメリカン美術館は、
どうも、人気がないようで、とっても空いてます。
特に3階、4階なんていうのは、
「いつの間にか閉館しちゃったんじゃないか?」
って勘違いしてしまうほど人がいません。
美術館には、一定の区間ごとに監視員がいるのですが、
この監視員という仕事、非常に暇そうです。
特にやることはないんですよね。
とある展示室に入って行くと、
監視員の一人が絵を見ながら何かやってます。
その絵は、ピカソも超える抽象絵で、
はっきりいって何が書いてあるのかサッパリわかりません。
彼も同じ思いだったのでしょう。
絵のラインと同じように、腕を動かして筆をふるっているような動作をしています。
そして「わかんねぇ?」というような仕草をして振り向くと僕がいたわけです。
僕以外に誰もいません。
彼は、ちょっと気まずそうに僕に挨拶をします。僕も返します。
それ以上は、何も話しませんでしたが、
もしも僕に少しの勇気があればこう言ってみたかった。
「自分でも絵を描くの?」
きっと答えはNOだとおもいます。
「描いてみたら?」
答えは、書いたことないか、無理だと答えるか?
「この絵は理解出来ないよね?」
でも、この絵に何かがあるからここにある。
それは、なにか?
それは、自分を信じて描き続けてきた何かがここに宿っているんだと思う。
よく、自分の方が上手いという人がいるけど、
それはそうかもしれない。
しかし、違いは何か?
それは「やった」か「やらなかった」か
そして「やり続けた」か「諦めた」か
さらにこうなると「信じ続けた」か「疑ってしまった」か・・・
才能がないと言われようが、
訳が分からないといわれようが、
批判されようが、変人扱いされようが、
自分を信じて進めるか?
一所懸命に出来るか?
それだけが、ここに飾られるか、それをただ見るだけの人になるかの違いかもしれない。と。
そして最後にこの一言「Let's Try! Never Give up.」
もしかしたら、彼の人生が変わっていたかもしれないなどとも思ってみたりする。