祭りと花火と、ついでにとうふ

投稿日:2018年8月6日 更新日:

夏の週末というのは、イベントが目白押しだ。

「夏」と定義されるのは、主に、子供の夏休みの期間と同じ、7月20日頃から8月一杯まで。

ちょうど、梅雨明けと同時に「夏」が来る。

この間、約40日だが、夏のイベントのほとんどは、お盆までに集中しているように思える。

となると、イベントが行われるのは、およそ6日間のうちのいずれかだ。

そんなわけで、夏といえば、夏祭りと花火大会が定番のイベントではなかろうか。

少し前も、偶然寄った神社での祭りに行ってきたが、今回は、部落の祭りに行ってきた。

僕の所属している部落は、およそ85世帯。

人数はわからないが、ざっと300人ってところだろう。

夏祭りが行われるのは、部落の公民館である。

公民館なので、まったく広さはなく、こじんまりとした中に、みんなが集まってワイワイとやっている。

昨年も、区長さんに誘っていただいて行った。

その時は、ほとんどの人を知らなかったが、今年は、見渡せば、何人かは知った顔が出来た。

山に一人でいると、下界で何が起こっているかは、まったわからない。

町内放送らしき音は聞こえるのだが、何を行っているかはまったく聞き取れない。

さらには、回覧板も回っては来ない。

唯一の知る手段が、区長さんが教えてくれるか、たまたま会った知った顔の人が教えてくれるかという方法しかないのだ。

今回の祭りも、区長さんが「やるらしいよ」という曖昧な言い回しだったため、本当にやっているのだかどうだか、半信半疑だったが行ってみた。

「やるらしいよ」という曖昧な言い回しをしたことで、昨年の祭りの時の会話を思い出した。

部落の祭りは、ずっと以前、イチローさんが区長だった時にやっていたらしいのだが、その後、やらなくなり、ここ何年かで青年部(比較的若い人たち)の人たちがやり始めたと言っていたのを思い出した。

だが、青年部と壮年以上の人たちのコミュニケーションがうまくいっていない様な話をしていたのだ。

だから、区長さんも「(青年部が)やるらしいよ」という言い回しになったと伺える。

実際に行ってみると、何十人かの人たちが祭りを楽しんでいた。

入り口付近に、ちょうどボスがいて、ジャイアンらとともに同じテーブルを囲んだ。

「みんな、ちゃんと知ってるんだなぁ」と思ったのだが、僕は、この先、こうしたイベントをちゃんと知ることができるのだろうか?と、若干の不安も覚えた。

まあ、僕は、孤独を苦痛に感じないタイプなので、何も知らなくても淡々と生きていけるだろうからいいのだが。

祭りの終盤、若干トラブルがあった。

やはり、祭りの運営に際して、どうもうまくいっていないようなのだ。

一時期、祭りがなくなってしまったことの原因と同じことが、多分、また起こっているのだろうと思った。

どこでもそうなのだが、まず第一に、強力なリーダーシップを取れる人が必要なのだが、リーダーシップを取りたい人はいるが、取れる人はいないらしい。

いつか、僕の出番が来るのかもしれない。そんな風に思いながら夜道を帰路に着いた。

その翌日は、花火である。

昨年も行ったが、会長の船で洋上からの花火観戦だ。

花火を見に行くというのは悪くはないが、やっぱり「何を見るかではなく、誰と見るか」の方が重要だろう。

一人で行っているわけではないが、特に、花火を見て誰かと楽しむというものではないのが残念なところである。

花火というイベント自体は、実際、まったく面白いものではない。

それは、祭りにも言える。

そう思うと、どんなことにも言えるのかもしれない。

花火によっぽど興味がない限り、単に、火花がいろんな形に出て、それが繰り返されるだけ。

その1時間半程度の時間、ボーっと見ているだけで、面白いわけではないのだ。

祭りも、催しを見たり聞いたり、出店で売っているものを買って食べても、面白いこともないし、美味しいわけでもない。

一人で居ても、なんの面白みもない。

そこに、誰がいるか?が最重要であって、何があるかなど、どうでもいいことなのだと改めて思ったのだ。

さて、ついでに、近所のとうふ屋さんをご紹介。

この地に来た当初から気になっていた、とうふやさん。

車で通る通りからはまったく見えず、看板だけがあるのを知っていたのだが、しばらく前から行くようになったのだ。

いつも、人はおらず、中に入った所にある冷蔵庫からとうふを取って、お金を入れて買うようになっているのだ。

とうふ一丁170円

スーパーでは、とうふは50円程度で売られている。

美味しくなくても、安くて、便利にまとめて買えるスーパーの方が便利だが、こうした単一のお店がなくなってしまっているのは実に悲しいものがある。

魚屋さん、八百屋さん、肉屋さんなど、ひしめきあい、掛け声が聞こえるような商店街がなくなってしまっていて、みんな車でスーパーへ買い物に行ってしまう。

手間暇かけたうまくて安いものは姿を消し、工場生産の食品が非常に安価に売られているのが現状である。

「物を買う」という行為においても、何を買うか?ではなく、誰から買うか?ということは重要な要素だと思うし、それは一つの楽しみでもあると思うのだが、現代人は、人ではなく物ばかりを見るようになってしまっているのだろう。

それは、売る側の変化も大きいと思う。

お客をお客として扱う人に「あの人から買いたい」と思わせるような魅力はない。

お客を人として扱わなければ「あの人から買いたい」とは思わないのだから。

僕は、今、お客さんという人たちに接してはいない。

だが、僕の中で、ふつふつと「お客さんを楽しませたい、驚かせたい、感動させたい」という思いが、芽生えつつあるのことを実感している。

いつか、また客商売をやりたいなぁ。


via Mark な 人生



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