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ちょいと時間が空いたので、You tubeで、橋下さんの出た番組を見ていた(聴いていた)

URL: youtu.be

いろんな人が討論しているのだが、みんな自分の意見が正しいと信じて?か、どうかは分からないが、懸命に話している。と言うか、自分の意見を押し通して、違う意見の人を屈服させようとしている。
実に醜い討論に聞こえる。
誰の意見が正しいとか、間違っているとか、そんなものは、それぞれの人の都合によって捉え方が違うわけなので、良いとか悪いとかは「無い」というものだと思う。(僕は、そう考えている)
そう思って聴いているのだが、どうにも、「どう考えても、橋下さんの言っていることが正しいように思う」と感じる。
これは何故か?
一つは、橋下さんの事を知っている。(会ったことはない)
そして、それ以外の人たちのことを知らない。
二つ目に、橋下さんの意見が、自分の考える意見に最も近い。
耳で聴いている限りでは、この二つが理由だが、それ以外の部分では、過去の発言や実績からも、「橋下さんが正しい」と思うきっかけになりうると思う。
しかし!
実は、耳で聴いたり、見たり、実績を考慮するということよりも、もっともっと重要なファクターがあると僕は思うのだ。
それは「なんとなく感じる」という、非常に曖昧なもの。
それでいて、最もハッキリしたもの。
聴くことや見るものは、意見が変わることがあるが、感じるものは、そうそう変わることがないのではないだろうか?
見る、聴くなど、五感で捉えることではなく、六感や、それさえも超える、自分では、うまく説明がつかない何かが、教えているような気がするのだ。
それは、現代の科学では解明されていないため、根拠を説明するようなことができない。
まだ、それらを説明する言葉さえもないのだろう。
さらに、記憶や考えという頭を使って判断することとは別に、現代の言葉で言えば「心」とかになるのかもしれないが、実際には、すべての人や動物、物質に至るまで、インターネットのように、あの世?のようなところでつながっているのではないかと思うのです。
当然、ネットのように、回線が太いところ細いところなどがあり、通信のし易さなどもあるように思える。
なので、身近な人たちの方が感じる度合いが強かったり、五感で感じることが手助けしていたりするだろう。
そんな、なんだか分からないけど「なんとなく」が、きっと働いているのだろうと思っている。
人は見た目が...
ということを言われるが、僕は常々、言ってきたことがある。
それは「中身が見た目を作る」と言うこと。
見た目とは、表面のことだけではなく、行動、言動、反応なども含まれる。
そして、それらを構成していくのは、その人の「生き方」であると思う。
結局のところ、生き方によって、判断されるのだろうと考えている。
もちろん、生き方にも、良いも悪いもないと思うが、共感される生き方か、共感されにくい生き方という事はあるだろう。
そう言った意味で、僕としては、橋下さんに共感しているのだと思う。
ただし、ツイッターで人を批判することに関しては、共感できないのだけれど。


via Mark な 人生



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