人生は、サラブレットのように

選挙が終わり、街に静寂・・・とまではいかないけど、選挙カーの騒音はなくなった。 

テレビも売り払ってしまい、引っ越し準備のため、オーディオの電源も入らない。

 家の中には、扇風機が回る音と、靖国通りを走る車達の音が少し聞こえる程度、たまに、うるさいバイクの音が聞こえてくる。 

そうそう、うるさいバイクといえば、昔は、若者の代名詞だったのだが、どうも、最近は、うるさいバイクに乗っているのは、いい歳こいたおっさんが多いらしい。

 バイクはヘルメットをかぶっているので、年齢がわかりにくいから、この新事実に、ちょいと驚いた。 

僕らの時代は、アルバイト代で頑張って、バイクを買ったり、改造パーツを買ったりしていたものだが、今の若者は、バイクや車などの機械類には、さほど興味は湧かないらしい。

 片や、おっさんになって、お金に余裕が生まれた連中が、若き日々を取り戻すかのように、バイクにお金をかけ、暴走族のようにとまでは言わないけど、騒音を出すマフラーに改造して、自分を主張している。 

若者が主張したがるのは、なんとなくわかる気もするが、40、50になって、自分というものだけで、自分を確立できないのだろうか? 

これが、みんな一緒の横並びが良しとされた教育で育った人間の末路か!?と、少し残念に思えてしまう。 

僕自身も、横並び教育真っ只中の1972年生まれ。

しかし、昔から、そんなものはクソくらえ!という考えで生きて来たと思う。若い頃は、それが横並び教育という状況であることなど意識せずいたし、実際、教育だとか、学校だとか、人生だとか、大人になるということすらも興味を抱かず、ただ、自分の思うように生きていただけだったのだ。

そんな僕も、今年で45歳になるが、今、45年間を振り返って思うことがある。

それは、世間や社会、他人を見ながら生きていても、人生は良くはならないということだ。

世間の様子をを見て、自分の人生の方向性を決めても、社会情勢を見て、今やるべきことを考えてみても、他人の顔色を伺いながら、言動や行動を決めてみても、自分の人生の不安や不満から解放される時は、一生訪れることはないだろうということ。

そして、もちろん、満足いく人生にもなりそうもない。

世間や社会、他人は、無用なわけじゃないし、軽視するつもりもない。

要は、考え方が正反対なんじゃないかと言いたいのだ。

他人の顔色を伺って自分の行動を決めるのではなく、他人が自分の行動を見て、その人が行動することに意識を受けるべきなのではないだろうか?ということ。

自分が行う行動を見た誰かが、「それ、いいね!」と思ったら、一緒にやれば楽しいし、「そりゃ、遠慮しておくよ」って人は、一緒にやらない。単純に、それだけだ。

他人の顔色を伺って行動すれば、「いいね」も「ダメだね」もない。

単に「ふーん」程度だろう。または、最悪なのは、居ても居なくても一緒という存在だ。空気みたいな存在とは違う。空気は、なきゃ困る存在だけど、そうじゃなくて、「無」だな。

みんな、「ダメだね」というレッテルを貼られたくなくて、「いいね!」と言われる行動もしない傾向にある。

それじゃあ、生きながらにして死んでいる。

他人なんて気にせずに、自分が「これだ!」って思ったことをやってれば、「いいね!」って連中で周りが固められていくものだ。

そして、それは、世間様や社会にまで影響を及ぼしていくかもしれない。

世の中に、勝ち負けってのが存在しているとしたら、勝つ奴っていうのは、世間の情勢を見ているのではなく、世間の情勢を作り出していつ連中だったり、社会に影響を及ぼしている人々だろう。

人生は、周りを気にして、チョロチョロとよそ見しているんじゃなく、自分の道を前だけを見て走るやつが一番早いはずだ。

競馬のサラブレットのようにね。

 


via Mark な 人生



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