夏も終わろうとしている。
と、思っても、だいたい毎年9月も猛暑というのが恒例なのだが、それでも、涼しい風が吹くと「もう、夏が終わりかぁ」としみじみ思うのだ。
さっき、買い物のために山を降りた。
山にいるときは、夕方になると、動いていないときは冷えるので、長袖、長ズボンと靴下も欠かせないのだが、下に降りて行くに従って汗ばんでいく。
標高350mと100mでは、随分と違うのを、いつもながら実感した。
さて、昨夜の夕食をご紹介しよう。
涼しい夜風が吹く日には、七輪がよく似合う。
七輪を出し、風呂を沸かしながら、同時に炭を起こす。
風呂が沸く頃には、かまどに入れておいた炭も、いい感じに赤くなっているのだ。
さっと、ひと風呂浴びてから、七輪を覗くと、真っ赤になっていい感じ。
そこへ、先日、もらった魚を一夜干しして冷凍しておいたヤツを、七輪の網の上に乗っけた。
ジリジリと焼きあがるのを待つ。
この間、何かやっていてもいいのだが、何もせず、ただ七輪の前に座っているのが実にいい。
僕の足元は、わらじ。
わらじを履いて、七輪で魚を焼いている光景というのは、何か、江戸時代の、田舎の農民のような気分だ。
真っ暗な中で、小さな小屋の外に出て、一人、七輪で魚を焼く。
晩飯は、この魚と、ナスを二本。
醤油をちょいと垂らして食らうのだ。
現代に生きる僕たちが、江戸時代を知るのは、その多くが、時代劇だろう。
時代劇に登場するのは、主にお役人と江戸の商人や町人。
田舎の農民は、たまーに出てくるが、その時の印象は、非常に貧しい人々だ。
そんなに、田舎の農民は貧しかったのだろうか?
真実はわからないけど、僕としては、七輪の前に座って魚を焼いているだけで豊かに感じてしまう。
農民たちが、高額な年貢に苦しめられていたかもしれない。
しかし、現代でも、似たようなものではないかと思ってしまう。
税金や年金、保険などは、決して軽い負担ではないのだ。
そうした負担に、苦しんでいるのは、どちらかといえば都会の人たち。
田舎は、出費が少ない分だけ、気楽に暮らせるように思えるのだ。
江戸時代とは逆なのだろうか?それとも、同じなのだろうか?
真意はわからないが、わらじに七輪は、現代では「豊か」であることは、間違い無いでしょう。