コップのふちを回り続ける虫

ある時、流しを覗くと、そこに置かれたコップのフチに虫がいた。

彼は、コップのフチをぐるぐると回り続けている。

同じところを回り続けている。

きっと、どこかへ進んでいると思っているのだろうけど、同じところを回り続けている。

たまに、立ち止まって考えてみたり、Uターンしてみたり、下に降りようとしてみるけど、傾斜がキツくて降りられそうもないと思い諦めてみたりしながらも、コップのふちを回り続ける。

見ていたら、面白くなって来たのでビデオを撮ってみた。

こうして、上から見ていると、同じところをグルグルと回り続けているのがよくわかる。

しかし、彼本人からしてみれば、同じところを回っているとは思っていない。

しっかりと、前に進んでいると思っているのだろう。

視点が低いか、高いかによって、まったく違った景色になる。

たまに立ち止まって考えているようだが、どうも考えが浅いらしく、すぐに、また同じ行動をする。

時には、100度の傾斜というか、ひっくり返りそうな、このコップの外側を下っていけば、外に出られるような気がしているのだが、落っこちてしまいそうなので、勇気がないのか、少し進んではやめてしまう。

もちろん、僕は知っている。

虫は、コップの外側を下ろうとして、たとえ落っこちても怪我一つしないことを。

だけど、彼本人は、落ちたら奈落の底まで落ちていくのではないかという恐怖があるのだろう。

反対側のコップの内側は、傾斜80度くらいで、まだ降りやすそうだが、内側に降りても結局は抜け出せることはなく、底には水も溜まっていて、こちら側こそ、奈落の底である。

「この虫は、バカだなぁ」と、思うかもしれない。

確かに、上から見ていると、そう見えてしまう行動だ。

しかし、虫の視点で考えたら、とっても一生懸命である。

僕は、この虫の行動を見ていて思う。

人間も同じだなぁって。

自分では、前に進んでいるように見えて、実は同じことを繰り返しているのではないか?と。

コップのふちのように、数十秒で同じ場所に戻るわけではないが、毎日毎日、毎年毎年、毎人生毎人生、生まれ変わっても同じことを繰り返しているのではないか?

そんな気さえしてくる。

人生における選択の時、どちらに行くのも困難な道だが、少しでも楽な方へ行くか、絶対無理そうな方へ行くか?

少しでも楽な方を選択すると、結局は、コップの中に入るだけ。

また登らなければならず、そして、またコップのフチを回りだす。

それは、経験としては良いが、外には出られない。

自分の人生が、どんな風になっているかわからない。

同じところをグルグルと回っているのか、いないのか?

これは、きっと、行動ということではなく、魂のあり方というか、なんというか、そういうことのような気がするのだ。

そんな風に思うと、僕も、同じところをグルグルと回っているような気にもなってくる。

たまに、勇気を振り絞って、絶対に無理そうなことにチャレンジしてみるのもいいのだろう。

この虫と同じように、もしも落っこちてしまっても、結局は、大丈夫なのだろう。

どっちかというと、落っこちた方がよっぽど早く、目的を達成できるのだ。

実際に必要なことは、絶対無理そうなことへチャレンジする勇気だけってことなんだろうな。

コップのフチを上から眺めてみる僕のように、神様?いや本当のというか、僕の魂というか、なんだかそんな者も、僕の行動を上から眺めているんだろうなぁ。そんなことを思った出来事でありました。

P.S

虫は、結局、いつの間にかどこかへ消えていました。

きっと、外側を下ろうとして、落っこちて、抜け出せたのでしょう。

いろんな可能性を、すべてやってみて、結局は、抜け出せたというわけです。

人の方が、グルグルと回り続けることを得意としているような気にさえなってきました・・・


via Mark な 人生



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