先日、冬の間使っていた深夜電気温水器の電源を止めた。しかし、温められた温水器の中のお湯は、それほど冷めず、設定温度55度に対し、翌日は45度、2日目の今日は35度だった。意外にも保温能力、優秀だ。
とはいえ、35度では風呂に入れないので、それなりに薪を焚く。お湯を釜に入れるだけでは、冷めていくだけだが、ゆっくりと下から温かくなるのは、やはり気持ちがいいものだ。
そして、火には、魅力がある。火はいい。扱いが難しく、一つ間違えれば大惨事を引き起こしてしまうものというのは、その分、コントロール出来さえすれば恩恵は絶大である。火はそうしたパワーを持った代表的なものの一つだろう。
一般的には、火を見るときというのは、ガスコンロやライターの火くらいで、圧倒的パワーを感じることはない。まあ、風呂を沸かすくらいでは、それほど大きな火ではないが、それでも、火力の大きさは感じることができる。温水器を使っていた間、この火の美しさ、火が持つ力、火の魅力を忘れてしまっていたようだが、また、思い出すことができたのだ。
火を起こして、薪を入れて、風呂を沸かすという行為は、非常にめんどくさい。毎日となると、火を眺めるだとか、火を感じるだとか、そうしたことは忘れ、ただ通り過ぎる作業の一部でしかなくなるのだが、久々だと、思い出すことができる。
まだ、明日も、火に出会えるかと思うと、少し嬉しい。そのうち、単なる作業になってしまうだろうが、それまでは、また、火を楽しもうと思うのだ。