もっと、僕の知らない昔に戻りたい・・・

昨日、林業について知れば知るほど、夢も希望もなくなっていったという話をした。

今の時代以外の時代を知らないが、やはり、どこかおかしい。

いや、もちろん、別の時代でも、もっとおかしなことや理不尽なことは多かったと思うし、これから先もそうかもしれない。

しかし、やはり、おかしいものは変えていかなければならない。

まあ、そうして、いろんな経験をして、変化をさせていくというのが、この世の仕組みなのかもしれないのだが・・・。

世の中の仕組みの一つとして、らせん階段のようにぐるぐると回って、少し変化を伴いながら、時代は繰り返していくようなのだ。

それが、どの程度のスパンで繰り返されているのかはわからないが、とにかく、時代は繰り返す。ただし、全く同じではなく、進化しながら。

そう思うと、僕の知らない昔のスタイルというものが注目されるときが来るに違いないと思っている。

僕がいつも言っていることの一つは、「山はいつか必ず見直されるときが来る」

今は、二束三文も山も、いつか必ず、多くの人たちが癒やしだったり、広い土地だったり、高台の見晴らしだったり、何らかのメリットを感じて山に注目するようになると思うのだ。

さらに、国産木材、それも、良質な木材も求められるようになるだろう。

それは、野菜などが、有機野菜や自然栽培が注目されるのと同じことだ。

消費者の知識が増えていけば、必ず質を求める人が出てくる、それが高額だろうと、求める人は求めるものなのだ、その波が徐々に膨らんでいけば、良質なものの市場が形成される。

林業や木材には、その波が来ていないが、いつか必ず訪れるだろう。

さらに、僕が毎日使っている「薪」も同じだ。

ほとんどの家庭では、薪など使っていないが、薪ストーブなどが見直されてきているのは事実。

ただし、ほとんどの場合、薪を山から採ってくるのではなく、どこかから買っている。

買っていればコストがかかり、電気やガスと比較することになるが、山から採ってきたり、もらってきたりすればタダである。

さらに、木材は、二酸化炭素を吸収しているため、燃やして二酸化炭素を排出しても、実質、二酸化炭素の排出量はゼロということで計算される。

その点から、地球温暖化防止に一役かっていることになる。

みんなが薪を使うようになったら、木が切り倒されすぎてしまわないか?と、心配になる人も多いと思うが、現状では、木を切らなすぎて、大きく成長できず、売れもしないのでそのまま放置されてしまい、森は正常に機能せずに、生態系を崩し、土砂災害なども引き起こす原因になってしまっているのだ。

どの程度いけば、木の切りすぎになってしまうのかわからないが、現状では、もっともっと切っていかなければならない。

それも、一カ所の木を全部切るのではなく、必要な分だけ、間伐することが必要なのだ。

間伐をすることで、残された気は大きく育つことができ、山に光が入り、草やほかの植物たちが育つ、そうして、多くの生き物が生きる森や山ができあがっていくのだ。

僕は、もっともっと、昔の生活、昔の道具、昔の人たちの知恵を知りたいと思う。

きっと、失われた素晴らしいものが、そこにあると信じている。

現代の僕たち、そして、未来の人たちが必要としている何かがある。

僕が山に来て、風呂を薪で焚くようになって気がついたことは、お風呂がいつまでも熱いってこと。

だから、僕は、夕方に風呂を焚いて、夜寝る前にも入ることができるのだ。

いちいち、追い炊きなど必要ない。逆に、温度が高すぎる位なのだ。

それが、光熱費ゼロでできるのだから、使わない手はないと思っている。

もちろん、薪を作るに手間と時間はかかる。

しかし、それらは、すべて、楽しい経験とトレーニングだと思っているからストレスはない。

ジムに通って、意味不明なトレーニングをやるよりもよっぽどいいと、僕は思っている。

昔のことを知ることは、未来を知ることなのだ。

時代は繰り返す、昔のことに少しの新しいエッセンスを加えることで、未来が見える。

だから、僕は、過去に向かっていながらも、未来に向かっていると思っている。


via Mark な 人生



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