柔よく剛を制す→柔こそ剛であるとも言えるか?

今日も竹。

昨日攻略した竹林のさらに奥へ進んだ。

奥の竹林は、昨日までのものよりも太くて長い。

さらに、長い竹が、真っ直ぐに生えておらず、なぜが、ドミノ倒しのようになっていて、非常に切りにくいのだ。

こうして、毎日竹と格闘していると思うことは、初めの頃にも書いたが「柔よく剛を制す」ということだが、今日、この竹たちを見ていて思ったことは、柔であることは、それこそが剛であるということだ。

竹のしなやかさは、驚異的だ。

とても木の一種とは思えない柔軟性、それでいて強い。

かといって強情ではなく、枯れれば簡単に割れ、潔い。

竹と戦えば戦うほど、竹に惚れていく。

いつも言うが、素晴らしい素材である。

竹を切りながら、人間にも当てはまるように思えた。

強い人ほど柔らかい。

強がる人ほど弱い。

僕は昔を思い出した。

二十歳そこそこのころ、僕は高級クラブでウエイターをしていた。

そこへ、ヤクザのお客さんがよく来ていたのだが、親分さんは、どこの親分さんも優しかったし、よく笑った。僕たち堅気の人間には、怖い顔など一切しなかった。

その代わり、周りのお付きの人たちは、いつも怖かったのを思い出した。

先日、銭湯へ行った時に、全身刺青のおっさんがいた。

湯船で一緒になったら、話しかけてみようと思っていたが、そのおっさんは、洗い場で、突っ立ていて、他のお客を威嚇しているような感じだった。

僕がチラッと見ると、怖い顔をしていたのだ。

僕の経験から言えば、そんなのは、下っ端なのだ。

今の時代、「ヤクザだ」と言うだけで犯罪になってしまうし、堅気とケンカでもしようものなら、すぐに牢屋行きになってしまうから、昔のように、怖い存在ではなくなったのだ。

と言うか、昔のヤクザの方が、堅気の人には、優しかったかもしれない・・・。

ま、とにかく、竹を切りながら、そんなことを思っていたと言うわけである。


via Mark な 人生



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