わらじではなく、わらぞうり。新調

2年前に買った、わらじではなく、わらぞうり。
履くのは夏だけだが、やっぱりわらだけあって、耐久性は低い。
それでも、2シーズン保ったのは良い方なのかな?

力がかかる部分のわらが無くなっちゃったので、新調した。
商品の価格自体は約1,200円だが、ネットで買うのでどうしても送料が高くつく。送料880円

880円なので、宅配で来ると思いきや、来たのはネコポス。
あれれ、ネコポス料金は385円。
ってことは、500円は手数料か?

そんなことは、まあ良いとして、送料含め2,000円
決して高くはないが、もう500円安かったらなぁ・・・

高いか、安いかは、人それぞれだけど、自然素材のみで、手作りとくれば、高いと言ってしまったら失礼に思える。
しかし、工業製品が大半を占める世の中で、手作りと言うのは、どうしたって高くなってしまう。
それだけ、機械の生産効率は、とんでもなく凄いってことなのだろう。
100円ショップに行けば、クロックスもどきのぞうりが300円で売ってるしなぁ。

小さく見えるけど、最初はコレ

届いたわらぞうりを見て、最初に思ったのが「あれ?小さくないか」
今まで履いていたものに比べて、なんだか二回りほど小さい。
サイズなんて、あったっけ?と、思ったが、実際には、履いているうちに、ペシャンコになっただけのようだ。

良くみると、立体感が違う。
新品の方は、わらがこんもりとしているのに比べ、履き古した方はペシャンコである。

履いてみると、新品の方が、足にフィットしてぴったり。
実に履きやすい。
底の厚みもあって、砂利の上を歩いても、全然痛くない。

小さく見えるけど、古いペシャンコのヤツも、2年前は、こんなだったんだよね。

大規模化、効率化、機械化、儲けなければならない世界

資本主義の現代は、お金をたくさん稼ぐ人、お金をたくさん持っている人がエライ。
これは、これで、仕方がない。

しかし、そのためには、大規模化、効率化、機械化が求められる。
『手作りが売り』とか『少数精鋭』とか『手間暇かけて』などと言うものは、弱者の強がりだと切り捨てられてしまう。

今回のわらぞうりなど、どこかには需要があるのだろうけど、多くはないし、当然、減り続けていると思われる。
なんせ、全盛期は、もう250年も前のことであるのだから。

僕も、山にいて、昔の人たちがやっていたような暮らしを取り入れている。
カメラのフィルムと同じように、仕事としては、すでにフィルムは使えないが、趣味としてならフィルムはアリだ。
それと同じように、僕がやっている生活が、日々、生きるためにやっていることだとしたら、これは、なかなか大変かもしれないが、僕は、これらを『趣味』としてやっているわけなので、それ自体を楽しめている。

その背景には、現代の技術も取り入れていると言うことが大きい。
例えば、五右衛門風呂を薪で焚くと言うことも、面倒なら温水器でお湯を出すことができる。
自然栽培で畑をやっているが、失敗したら買えば良い。

やらなければならないことは苦痛だが、やりたいことなら楽しめる。
そうして、昔の文化を取り入れていくのも、なかなか面白いものなのだ。

お金のない世界になれば、もっと、良いものが増える

資本主義の世界では、売れないものは消えていく。
しかし、売れないもの=不要なものとは限らない。

少しの需要でも、それを必要としている人はいる。
現代では、需要が少なければ、商品の価格は上がる。
すると、必要としている人には買えないと言う現象も起きる。

これが、お金のない世界になれば、需要が少なくても、供給したい人はするし、そして「買えない」と言うことはなく、必要な人は手にできる。
さらに、効率化のために使っている農薬や化学肥料、売れるからという理由で次々出てくる訳のわからないサプリメント、処方しなければ儲からない余分な薬、ビニール素材で覆われた家などなど、経済効率重視の中にあるものがなくなっていくかもしれない。
まあ、今生きている人たちが死ぬまでに実現することはないとは思うが。

お金のない世界が来るまで、わらじ職人さんとかって継承し続けて行けるのだろうか?
継承していけなくても作り方が、YoutubeにUPされていれば大丈夫かなぁ?

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