4時間しかない冬の日照時間
真冬になると、朝日が顔を出すのが午前10時、そして、夕日になる前に木々の下に沈んでしまうのが午後2時。たったの4時間しか日照時間がない。
ただでさえ寒いのに、頼みの綱のお日様まで1日の2割も顔を見せてくれないのでは、なかなか寂しいものだ。
これは、山に住む宿命といってもいいかもしれないのだが、山の山頂にいれば、登山経験のある人は実感したことがあると思うが、朝日は地平線から登り、夕日は地平線に沈んでいくのが見える。
日照時間で言えば、どこよりも長い。
しかし、山に住むとき、ほとんどの場合、山頂付近ではなく、谷間に近いところであることが多い。
僕がいる場所は、決して谷間ではないにしても、東西南の三方の山の方が高く、抜けているのは北だけなのである。
そう言う意味では、谷間のようなものだ。
木々の隙間から見えた空
あるとき、東の山をふと見ると、木々の隙間から、向こうの空が見えた。
今までは、尾根があるために朝日が届かないものばかりだと思っていたのだが、実際には、木々によって遮られていることに気が付いた。
生えている木は、杉やヒノキのため、背が高い。10m〜15m程度はある。
それらを伐採すれば、朝の光が降り注いでくれるのではないか?
そう思ったのだ。
暗い朝とおさらばできる希望が見えた。
しかし、東側の山は、自分の山ではない。
早速、所有者を調べてみると、この辺の山々の所有者のほとんどは、地元の部落の人たちだと言うことが分かった。
ある日、イチローさんと話をしていて、このことを話すと「あー、そこの家だよ、ほら、そこ」と、大まかな場所を伝えただけで、誰が所有者なのか分かってしまっているとは。
一応、法務局で調べてみると、言われた通りだった。
で、所有者さんに許可をもらって伐採することにしたのだが
多過ぎ、密集し過ぎ、それもヒノキ
数十年前にヒノキを植林して、手入れは最初だけであとは放置だと言っていたのだが、ヒノキを放置すると、とんでもなく厄介なのは、僕が2年前にヒノキ林を伐採した時も同じ経験をしたから分かる。
ヒノキの葉と言うのは、手を広げたような状態になっていて、倒れていこうとするときに、枝だけじゃなく、葉っぱも引っかかりやすく倒すのが大変なのだ。
さらに、植林したあとに間伐しておらず密集しているため、余計に倒れない。
さらにさらに、密集したままのため木が細く、重さで倒れてもいかず、他の木に寄りかかってしまうだけ。
こんな状態の木々が、ざっと千本以上。
尾根付近の木を切れば済むものだと思っていたのだが、尾根付近を切っても倒れないため、結局は、下から順々に切っていかなければならない。
さらに、全伐採ではなく、太い木は残すと約束してしまった。
もっと悪いことに、尾根は一つではなく、二つあり山の形状も複雑なのだ。
なんとか、急斜面をヒーヒー言いながら登り、三日かけて数十本を伐採したが、とても、とても、朝日を拝めるまでは、毎日伐採し続けても、冬が終わるほどはるかに長い道のりだと言うことがわかった。
放置林というのは、一旦リセットしなければ、どうしようもないということを実感した。
ってことで、
諦めた
結局、とっとと家を建てて引っ越すしか方法はないという結論に達した。
今回ほど植林というものを疎ましく思ったことはない。
植林自体は悪いわけではないのだが、杉やヒノキが高い値段で取引されていた時代、それを経験している人達が、数十年後に息子や孫の資産になると思って植えたのだろうが、その思いは叶わぬどころか、所有者にとっても、地域にとっても、地球にとっても厄介者になってしまっている。
それならそれで、後始末までやってくれれば良いのだが、結局は、そのまま放置となった山々がほとんどなのだ。
なぜ放置となるか?
その主な原因は、木材価格の下落にあるが、それでも手放さずに放置となってしまうのは、
固定資産税の安さにある。
多少はかかるとはいえ、非常に安い税金のため、放っておいても痛くもかゆくもないというわけである。
住宅地でも、空き家を放置する人たちがいるが、それも、空き家であっても建物が建っている方が更地よりも固定資産税が安いということが原因なのだ。
住宅地と同じように考えるとすれば、山を利用していれば税金は安く、放置していれば高くなるという違いがあっても不思議ではない。
植林してあるのなら、枝打ちや間伐などを行なっていなければ、税金が高くなるような仕組みがあれば、何かしら変化があると、僕は思うのだ。
と、そんなことを言っていても、なんの意味もないけど、まあ、とにかく、今回は諦めるしかなかった。
何度もブログに書いていることだが、山が荒廃すれば、山に住む生き物が減り、川の魚が減り、栄養分が減り、海に住む魚も減り、そして、人間にも大きな影響が出ることをみんなに知ってほしいと、切に願っている。