梁を掛け、束を立て始めた

ログガレージの床に生コンを敷いてから、約40日が経過した。
通常、30日で生コンは、完全な固さになるとのことだったが、極寒の時期なので、一応40日をみた。
とはいえ、およそ2年間も、ほとんど何もしてこなかったので、“40日みた” も何もないけど。

まずは、梁をかける。
梁に使うのはヒノキ。
一般的に言われている梁に適しているのは松だ。

松山というだけあって、松は豊富にあったようだが、今では、枯れてチョロチョロとしかない。
それらの松も、どんどん枯れていってしまう。
さらには、松は曲がっているものがほとんどなので、なんとも使いにくいという欠点もある。
せっかく、松の豊富な地域にいるにもかかわらず、ほとんど松の出番はないどころか、枯れた松の大木の処理に困るほどだ。

先日まで、枯れ松の巨木を薪にするために割っていたが、これがまた、めちゃめちゃ効率が悪い。
さらには、松ヤニがたっぷりなので、燃えるのはいいのだが、このヤニがベットリと窯の内側や煙突にこびりついてしまう。
で、薪としては、細めに割って、最初の焚き付けに使うくらいで、あまり用途がない。
生きている松も、枯れた後の松も、良い使用用途はないものかと、いつも思うのだ。

それはさておき、梁の次は、屋根を支えるための束柱を作る。
ホゾを作って、梁に差し込む方法でやる。

今まで、ホゾなんていうものは作ったことはない。
大体、正確に寸歩通りに、木を切れたことがないので、ホゾ穴に入らないか、ガバガバになってしまうかどちらかなので、なるべく避けてきたのだ。
しかし、今回は、ホゾなしでは、安定せずに心許ないので、やってみることにした。

直径15cmほどの丸太に、縦6cm・横10cm・長さ10cmのホゾを作る。
通常、柱などのホゾは、縦3cm・横6cm・長さ4.5cm程度らしいが、なんだか折れちゃいそうな感じがするので、なるべくでっかくすることにしたのだ。
ホゾが大きくなれば、ホゾ穴も大きくしなければならないが、下にくる梁の太さは20cm以上あるので、ホゾ穴が大きくても大丈夫なのである。

ホゾ穴を開けるのに、一般的に使われるのは、角ノミという道具で、手動角ノミ機なるものを、ずいぶん前にヤフオクで買ってあった。
しかし、こいつをログの上に運ぶのは、重すぎて無理。
丸太用のチャーンノミというものがあることを最近知ったが、こいつもログの上までは重くて運べない。

「丸太を上に積む前に、ホゾ穴を開けておけばいいじゃないか」と思うだろうが、なんせ、なんでも初めてのことなので、手順がわかってないし、実際、次に何をやろうか?ということも決まっていないまま進めているというのが現状なのだ。
もちろん、最終までの工程のイメージはある。
しかし、イメージ通りに事は運ばないものなのだ。

ホゾ穴を開ける方法で良さそうだったのは、ドリルで穴を開けて、角ノミを金槌で打って、四角くホゾ穴を開けるというのが一番良い方法だという結論に至った。
で、実際にやってみようと思ったのだが、その前に、「チェーンノミがあるのなら、チェーンソーでもいけるんじゃないか?」と思い、チェーンソーを使ってテストで穴を開けてみた。
すると「結局、コレか?」って事で、なんやかんや悩んだ末、結局、チェーンソーに水準器を当てて垂直・平行を確認して開けていくという方法にした。

それも、今回のホゾを作るにあたって、いつものチェーンソーでは重すぎるので、めっちゃ軽いAC電源で使える小さなチェーンソーも買ってみたのだが、いつものチェーンソーと比べて、切れが悪いので、結局、いつもの重いチェーンソーですべてのカットをやる羽目になった。

こういう一見『無駄』と思えるようなことも、すべては流れの中の『工程』の一つなのだ。
以前は、こうした出費を『もったいない』と思っていたのだが、今では、そうは思わなくなった。

実際に、お金というものを確かに使い、その代わりにきた商品は、ほとんど使わないというのは、一見、無駄なように思える。
しかし、お金に関していえば、ここで数万円使おうが使わまいが、未来の僕にとって、金銭的になんの影響もないことに気がついたのだ。
それは、数万円が影響をしないほどお金持ちとか、そういうことではなく、お金というものがどれだけあるかということは、預金通帳に示されているのではなく、自分自身の

在り方

によって決まってくるということなのだ。

【在り方】とは一体なんじゃらほい?
多くの人は、実際に目に見える『現金・預金・資産』によって、自分自身がお金持ちか、そうでないかを決めている。
要するに、「今」に囚われている。
そして、「今」の延長線上にある未来が自分の未来だと定義している。

そんな未来は嫌だと感じて、違う未来を夢見はするが、実際に、未来を今の延長線上から脱線させる思考もしなければ、行動もしないという人が多いかもしれない。
なので、よく聞くセリフは「お金持ちになりたい」とか「もっとお金があったら」とか「自分には無理」とか「宝くじ当たらないかなぁ?」とか、こんなところ。
こうしたセリフを「お金持ちになるよ」とか「将来にはお金があるから大丈夫」とか「自分は出来る」とか「宝くじよりも自己投資」とか、そんな風になったらいい。

ここで、在り方。
在り方とは【自分とはどんなヤツか?】ということを定義するということ。
『どんな人生を送りたいか?』に似ているが、ちょいと違いがある。

「送りたい」というのは、願望である。
「何者か」というのは、決定した定義であるということだ。

自分とはこういう人間だ!自分の人生はこうだ!と自分で決めてしまうのである。
自分で決めることが、どれだけ重要なことか。
これを、僕が初めて知ったのは二十歳の時である。

二十歳の時に初めて「決める」ことの重要性を肌で感じた。
深い部分で決めたことは、未来に確実に起こる出来事であると、まるで予知のように感じることができ、そして、その通りになったのだ。
これは【ゾーン】に入ったと言われるような状態に等しかった。
もちろん、この時は、よく分からなかったし、人生に大きく影響するような出来事だとは分かっていなかった。

でも、振り返ってみれば、ずっと昔から僕は自分の在り方を自分で決めていて、現状に左右されることはなかったかもしれない。
中学生の頃、同級生の誰かとこんな会話をしたことがある。

僕「俺は、社長になる」
友「なれなかったらどうするの?」
僕「なるまでやるから、必ずなる」
友「それでもなれなかったら?」
僕「そん時は死んでるだろ、なれるまでやるんだから」
友「でも、会社を始めるにはお金がいるじゃん」(今は資本金一円から設立できるが、この頃は、株式会社で1000万円、有限会社で300万円が資本金として必要だった)
僕「えっ?知らないの?お金は天から降ってくるんだよ」
友「・・・」

「お金というのは、この世界にジャブジャブ溢れている。
そのジャブジャブあるお金でも、今、僕らの手元にはないだけだ。
しかし、ジャブジャブあるのは事実で、お金はグルグル回りたがっている。

だけど、ジャブジャブある場所というのは、多くが、大企業だったり老人だったり、お金がグルグル回らないような場所に置かれている。
それでも、大企業も老人も銀行も、本当は、お金をグルグル回したいと思っている。
ただ、お金の行先を見つけられないだけだ。

そんなお金を、こっちに回して貰えばいいだけのことなんだよ。
こっちに回すのが、自分にとっても、社会にとっても良さそうだと判断すれば、こっちにジャブジャブと回してもらえるものなのさ」

というようなこんな会話をしたことを覚えている。
で、実際に、社会に出れば、こういうことを世の中では、普通にやっていて、お金持ちの人たちは、他の人たちからジャブジャブとお金を回してもらって、そのお金を使って、いろんなことをやって、さらにたくさんのお金がジャブジャブと流れ込んでくるという仕組みを作っているのだ。

それはさておき、在り方とは自分で決めることだという話、そして、お金は、自分の在り方が大丈夫だと決めていれば大丈夫だし、無くなってしまうと思っているのなら、それは、無くなってしまうものなのである。
預金通帳に書かれた数字など、単なる幻想に過ぎないのである。
自分が、どう思っているかによって、それは、増えもするし、減りもするのだ。

ってことで、一瞬で使わなくなったAC電源チェーンソーだが、無駄ではなく、工程の一つであったというわけなのだ。

そんなわけで、今まで同様、重いエンジンチェーンソーで、ガシガシとホゾを作って、ホゾ穴を開けてみたのだが、結果、これが、程々にうまく出来た。
寸法めちゃめちゃっていうのは、変わりがないんだけど、ホゾとホゾ穴が合ってりゃいいので、ちょいちょいと修正しながらやってみると、なんだか、それなりにうまくいったのである。

そして、とりあえず、一列。
全体の1/4が出来た。

重いチェーンソーを持ち続けていることで、腕と肩は筋肉痛だけど、これはこれで筋トレってことで良い。
考えてみると、フォルム時代のカメラ一式と、チェーンソーは、同じくらいの重さだってことに気がついた。

カメラからチェーンソーかぁ・・・
あぁ、あの頃を思い出した。
20年前のあの頃も、何も分からないまま、ただ突っ走ってたなぁ。

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